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ツバメ

燕の記事を書いたのが、去年の6月中旬だ。この記事が、いろんな出会いを呼んでくれた。そして、noteを続けるエネルギーを、与えてくれたのは事実だろう。

この記事の出来事に会う前に、私は、既にツバメという鳥が大好きだった。益鳥という呼称も手伝ったのかも知れない。

燕尾翼の紙飛行機を、父から教わり、それをよく作り、そしてその飛行機はよく飛んだ。そして飛び方が格好良い。

滑空という言葉を経験で理解できたのは、ツバメの飛び方を知っていたからだろうと思う。


そしてツバメを、私が大好きな鳥の代表へと押し上げる物語に出会った。有島武郎の「燕と王子」である。

私が最初にこの作品に出会ったのは、小学校に入ったくらいの頃、原作ではなく、絵本だった。その絵本は、何度も読んだが、王子の優しさと、王子に従いながら幸せを配って最後に倒れていく燕の健気さに涙し、さらに燕という鳥を好きになった。


noteの世界に来て、初夏、いろんな人が、ツバメについて記事にされていて。その中でも、この記事、ながた師範の、ツバメ日記が、印象的だった。

ツバメは、夏前に子育てをし、秋には育った子供も含めて、海を超え、南の暖かい国へと渡る。

子供の頃、近くの公園の西側の電線に、近所のツバメが大集合し、一気に空へと飛び立つ光景をみかけたことが、何度か、ある。

Gokuさんの記事にも、その記述があった。


ツバメのことを、そんなに深く知っているわけではない。だが、ちょっと深く知り、少し、ほんのちょっとした創作をしてみたくなってきた。

そうは言っても、いつ書けるのか、それは、分からない。自分でも、わかりかねている。


去年の夏、この「燕と王子」を読み直した。そして、私の記憶が、かなり違っていることを発見した。燕は越冬せず、しかも、倒れてもいない。ただ、王子は、心なき民衆に、倒されてしまう。

善行は、お天道様が見ている。だが、伝わらない時も、ある。

当時は、子供ながらに、そういうことを自問した。そしてそのテーマは、いまだに、心の中に、自問の種として、未解決のまま、残っている。



今年も、ながた師範は、ツバメ日記を書かれていた。私は、ツバメについては、あえて、書かなかった。


そして、今、ツバメについての、ちょっとした記事を、書いている。

ながた師範に、いつ、どこでだったか、約束をしたことがある。ツバメについて、創作をひとつ、いつか、書きたいとおもっています、と。

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身近に、ツバメの痕跡は、残っている。

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そして、夏は、もう、終わろうとしている。


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色褪せて、黄色くなったマスク、家内は、こう言う。

色が黄色くなってきているし、もう、処分しなさい。


心の中の、リトルkojuroが、私の代わりに、つぶやいた。

処分する前に、ちょっと、試してみたいことも、あるんだよ。


ツバメの、ほんのちょっとした創作は、まだまだ先だと思う。ツバメが南の国に旅立っても、まだ、温め続けていると思う。

その前に、この、マスクにまつわることも、書いてみたいし。その前に、「フォアボール」や、「墓地」にまつわる記事を、先に書きたい。「フォアボール」は、創作になるので、ちょっと、時間がかかるだろう。


夏休みが終わり、それでも、夏休みの宿題が残っている。


心の中の、リトルkojuroが、笑いながら、つぶやいた。

コジ、出来の悪かった、学生時代に戻ったみたいだぞ。


そうだな。


ゆく夏の、宿題だけは、残りけり。


心の中の、リトルkojuroが、首をすくめて、つぶやいた。


とても、へただな。



残暑は厳しくとも、秋は、必ずやってくる。

ツバメの飛んでいく季節は、もう、すぐだ。


【今日の登場人物】

言わずと知れた、ながた師範である。清水師匠、庵忠名人とともに、私は、3賢人と呼んでいる。お役立ち記事を、たくさん、世に出されているが、エッセイ「箸にも棒にも」シリーズも、痛快である。動物愛が深くて、「ツバメ日記」での出会いで、私は、賢人というよりも、本当は、人として尊敬している。

Gokuさんは、野生ツツジの記事が、出会いの最初だった。いろんな、各地のツツジのことを、簡潔な文章と、写真、イラストで記事にされていた。面白くて、最初の記事は、全部読ませて頂いたと思う。かなり学術的な知識も得られて、私は、なんだか、ツツジが好きになってしまった。




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