ターニングポイント
今日の記事は、庵忠茂作名人の、この、企画に寄せる記事である。
"清水カップ"への参加記事だ。
今までの人生においてのターニングポイントを思い返せば、いくつもあった。むしろ、少しずつ角度を変えるターニングポイントをたくさん経験し、いつも同じ方向へと舵を切り、結局はグルグル回転しているだけのような人生なのかと、思ったりする。
今、心の中のリトルkojuroが、少し肩を揺らして嘲笑した。
だが、ちょっと真面目に考えて、人生においての最大のターニングポイントは、2020年ではないかと思う。
思っても見なかったことが起こった。緊急事態宣言が発令され、世界中が引きこもりになった。
そんな中、私は、キナリ杯をきっかけに、noteを始めることになった。
キナリ杯が、何かは、もう、言うまでも無いだろう。もともと、私は、twitterで、岸田奈美さんが好きで、よく読んでいた。そこで、何か、企画が発動するというので、noteにアカウント登録をして、期限ギリギリの最終日前夜に、投稿したのである。
本当は、そこで、noteの世界から、消えるはず、だった。
ところが、私の習性が、それを阻んだ。
私は、起きている間は、文字を読んでいたら、落ち着く。本でも、新聞でも、広告でも、あるいは教科書でも、スマホのネット記事でも。
noteは、私にとって、居心地の良い、格好の媒体だった。
いろんな人の記事にお邪魔して、勝手に読んだ。
そして、もうひとつ、私の習性がある。
読んだら、スキをつけたくなる。そして、感想を述べたくなる。
コメント欄に、ズカズカとお邪魔して、初対面であろうが、不躾にコメントを残していくのである。
また、自分の記事は、2つ目を残したかったので、2つ目を残したあと、どうしてか、ひとつずつ、ぽろぽろと、書くようになった。
そして、知らず知らずのうちに、noteの世界に、いつくようになってしまった。
私の、アカウントホーム、自己紹介欄には、こう、ある。
なぜかキナリ杯をきっかけに、noteを書くようになった。気ままに、気長に、書きたいときに、書きたいことを書きたいだけ書く。
どれだけ居丈高で、いい加減な自己紹介なんだと思う。
書くと書いてあるが、本心は書きたくない、と、書いてある。
また、心の中のリトルkojuroが、苦笑いをした。
noteに、どれだけの時間をかけているかと問われれば、今、大変な時間をかけている。
だが、noteをやっていなくても、本を読んだりして、活字を読んでいる。あるいは、家の掃除や整理整頓をしているか、スポーツ観戦をしているか、家内のとったドラマの録画や映画を見ているか、疲れ果てて寝落ちしているか、である。
noteの世界は、素晴らしい。多くの知り合い、友人が、できた。そして、その友人たちに、実に多くの面で、支えられている。それは、間違いなく、かけがえのない、私の財産である。
それを考えると、私は、リアルの世界で足を運んで友人を作っていくよりも遥かに広く、深く、濃く、関係性を育んでいる。
こんなことになるとは、本当に、思わなかった。
だが、これからは、note以外のことにも、目を向けていかねばならない時期に入ってきた。それは、事実である。
私は、この課題に直面するたびに、かねけんのことを思い出す。
かねけんは、はっきりと行っている。noteは、楽しまねば、noteではない。もしも続けることが難しくなったら、躊躇なく、休めばいい。
かねけんは、私の長男よりも年下だ。だが、noteとの付き合い方を、ごく単純に、しかし真剣に捉えていて、いつもブレることなく同じ姿勢で存在し、今、ゆるくゆるく、noteの世界と付き合っている。だが、やめたりは、しないだろう。
私は、息子より年下の先生に、極意を教えてもらった。
清水のぼる師匠も、こうやって宣言して休まれたことがある。ご家族のご事情で、休みをとられることも、ある。そして今も、ご事情でお休み中だ。だがしかし、いつも、不死鳥のように、戻ってこられている。連続投稿も、敢えてしない。noteに時間をかけ過ぎることも、無い。
noteの世界の賢者たちの知恵を、盗まない手は無い。
noteの世界の、楽しむ極意は、細く長くというのが、恐らくは、キーワードなのであろう。
私がそうこう考えている間に、noteというプラットフォームが、大きく変容していき、逆に、居座れなくなるかも知れない。
世の中は、常に、変わっている。
そういうことだ。
私は、器用ではない。はっきり言うと、不器用である。そして最近、noteとの距離感を、こう、考えている。
楽しくなければ、noteではない。ゆっくり、ゆるりと、いい加減に、やっていく。
もしも、休みたくなったら、簡単な報告を出して、お休みを宣言する。
だが、続けられるのならば、続けられるだけ、続けてやっていこう。
これが、私なりのnoteにおける、信条である。
そして、私のホームの、自己紹介欄のコメントは、今のところ、変えるつもりは、ない。
なぜならば、こういう、ゆるいスタイルが、私に似合っているからである。
私のターニングポイントは、確かに、昨年だった。だが、今も、ゆっくりとターンしていく最中にある。
今年は、どのような角度で、進んでいくのだろう。
noteの世界の、私の財産は、どうなっていくのだろう。
心の中の、リトルkojuroが、呟いた。
楽しく、のんびりいこうぜ。たいしたことなんて、そもそも、していなんだから。
でも、そんな記事でも、読んでくれている人がいる。
本当に、有り難いよな。
だから、もう少しだけ、人の役に立つことも、考えないと、な。
言葉は、伝わらなければ、言葉では 、ないんだろう?
そして、愛は、与えなければ、愛ではないんだろう?
そして、ゆるくでもいいから、続けることも、大切だからな。
それもそうだよな。
このターニングポイントも、ゆっくり舵を切っていくか。
心の中の、リトルkojuroが、振り返って、微笑んだ。そして、こたえた。
おう。
noteの世界の大海にいたり、私は、ちっぽけな船の、ただの新参者である。
ほんの一部しか、知らない。
いや、全く知らないところばかりだ。
大海原からの風を受けながら、
私は、心の中のリトルkojuroと、ハイタッチをした。
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