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【新型コロナ】個人的な振り返り・論点整理

新型コロナウイルス感染症について、これまでに自分が考えたことを整理してみた。
まあ後からなら何とでも言えるし(後出しジャンケンなのに間違っているかもしれない)、以前から考えていたことについても時系列の証明はできないのだが。

◆「コロナはただの風邪」関連

・そうなってきてはいるが

「コロナはただの風邪」系の言説に自分は割と否定的だ。

様々な感染対策や人々の努力でようやく「コロナはただの風邪」に近付きつつあるというだけ。むしろ、「対策しまくってこれ」である。
コロナはただの風邪「だった」などということはなく、ただの風邪に近いものと「なってきた」のだ。

「コロナはただの風邪」扱いでろくに対策していなかったら、現在「コロナはただの風邪」に近いと形容できる状態にはなっていなかったかもしれない。
「コロナはただの風邪」を当初から主張していようが、別にそれは先見の明があったわけではない。その後の状況をもって正当化するのは筋違いかと思う。

・若者の重症化率

「若者はほとんど重症化しない」について、それはそうなのだが、新型コロナに関してはたとえ「重症化」せずとも軽症や中等症でかなり厳しいし、ロングCOVIDや後遺症の懸念もある。

重症化しなければそれでいいかというと全くそんなことはない。「重症」を経ることなく、日常生活に……下手したら生命にも関わる事態となるのが新型コロナであり、重症化しないから何だというのが率直な感想。

・ノーマスク

自分の場合、マスクをすることのデメリットをそこまで感じておらず、基本的にマスクはよくしていた方かと思う。
個人的な環境の変化により2023年8月2日からはあまりマスクをしなくなったが、今でも状況や気分に応じてマスクをしたりしなかったりしている。ちなみに新型コロナの発症は一度もない(自覚なしで感染はしていた可能性もあるが、そこは不明)。

一部では「当初からずっとノーマスクを貫いていた人が正しかった」的な総括やノーマスク派の勝利宣言?的なものが見受けられるが、それはちょっと違うだろと思ってしまう。

マスクを割と安全に外していける社会にできたのは、マスクを含む感染対策があってのことだろう。それをノーマスク派が勝ち誇るというのは、あたかも「自由の味方」であるかのようなポジションで、社会の感染対策を阻害しつつ恩恵はちゃっかり享受し、あまつさえ当初から感染対策が不要だったかのように正当性すら簒奪してみせる……フリーライド以下の何かに見える。


◆自粛関連

・筆者個人としての立ち回り

自分は2020年はそこそこ自粛をしていて、2021年初めころからはあまり自粛しなくなった。
(といっても、2020年は普通に生活していたら結果的に自粛していたかのような状態だっただけで、2021年になってほとんど初めて自粛について考えたというのが実態に近い。)

当時の自分は期間限定と言われた上で地方から転勤で東京に来ていた身。感染拡大防止のために自粛が大切なのは分かるが、「今」という時間により大きな価値を見出した。
2回目の緊急事態宣言が出され、飲食店の時短営業などの対策が盛んに行われていた頃だったが、東京で好きな人(現:婚約者)ができたこともあり「こっちには『今』しかないんだ」と考えた。

毎年大して環境が変わらない人は「感染が収まるまで自粛」などと悠長なことを言っていられるのかもしれないが、自分の場合は違う。

残された時間が減っていく中、自粛しないリスクとそれで得られるもの・失わずに済むものなどそれぞれ考えたら、東京にいられる「今」のうちにリスクを負ってでも会いたい人たちと会うのは自粛しない方向に傾いた。

……ということで、自分も社会の感染対策にフリーライドした部分は少なからずある。
なお、あまり自粛しなくなったといっても、その他の感染対策は適宜行っている。

・「自由」との兼ね合い

自粛に賛成している者などに対し、「普段自由の尊重を謳いながら〜」的な批判がなされることがあるようだ。
しかしながら、個人的にこの批判は必ずしも妥当ではないと考えている。

政府による正式な自粛要請(特に具体的な制限や不利益を課すもの)や、他人が自粛しないのを糾弾し自粛を強要しようとする……いわゆる「他粛」を批判するならともかく、自身が自粛していること、他者の自粛に肯定的なことをもって「自由の敵」かのような扱いはおかしい。

自分に言わせれば、他者の自粛や自粛賛成を許さない者の方がよっぽど「自由の敵」に近い。人々には「自粛する自由」だってあるのだ。自由意志に基づくのであれば、自粛しないことと同様に自粛することもまた尊重されるはずだ。

人々が自粛することにより経済に悪影響が出て結果的に自由や国民生活が損なわれ……みたいな議論は当然あると思うが、それで自粛を否定するのはおかしい。その否定は自由の否定だ。

「政府の言いなりに〜」のような言説もちょっとどうかと思う。
スタンスが政府と似ていたら政府の言いなりに見えて、異なっていたら政府に反抗しているように見える、ただそれだけ。

「政府の言いなり」「思考停止」「従順な奴隷」みたいなことを言う人たちは、政府がコロナ対策を何もしなかったら必死に対策を訴えていたのだろうか。
結果的に政府と似たスタンスになったことを批判するというのは、「政府が言ったから」逆に張っているだけであり、「政府が言ったから」従う者と同様に思考停止だろう。

自分の場合、「すごく嫌なのに政府に言われたから仕方なく従った」のではなく、「嫌じゃない範囲で感染対策をした」という認識。政府の言いなりになっている(ように見える)部分とそうでない部分がそれぞれある。そこは一貫させるポイントではない。


また、ひと口に自粛賛成派・自粛反対派といってもそれぞれ穏健派と過激派がおり、
・自分が自粛することについて
・他人が自粛することについて
・他人に自粛させることについて
などのスタンス全ては必ずしも一致しないだろう。

既に少し言及したように、「自由の敵」がいるとしたら、それは自粛賛成派でも自粛反対派でもあり得る。反自粛なら自由の味方などということはない。

筆者の場合は、
・自分が自粛することについて
→したりしなかったり
・他人が自粛することについて
→するもしないもお好きにどうぞ
・他人に自粛させることについて
→とんでもない
という感じ。

ここで個人的な反省点としては、政府の自粛要請に対してもっと厳しくあるべきだったのではということ。
自分としては政府が何と言おうが結局自分で判断するので具体的な制限や不利益を課さない限りご自由に……くらいに考えていたが、甘かった。特定の誰か宛てでもないふわっとした「要請」に過ぎなくとも一般的には「他粛」として機能することを十分に認識できておらず、途中から考えを改めた。


◆ワクチン関連

・長期的な影響

コロナワクチンの長期的な影響が分からないから打たないこととしている人がいるようだ。
しかし、それを言ったら新型コロナウイルス感染症の長期的な影響こそ分からないではないか、と思う。

後者よりも前者のリスクを重くみるのはなぜだろう。感染後、数年経ってから大変なことになるかもしれないというのに。
しかも、ワクチンの方は仕組み的に数年後になって健康被害が……ということは考えづらい。長期的な影響を懸念するのなら感染の方が優先だろう。

・ウイルスの変異

「ウイルスが変異するからワクチンはあまり意味がない、何ならワクチンを打つからウイルスの変異が促進される」のような言説も見受けられる。

しかしながら、ウイルスの変異は何もワクチンによりできた抗体にのみ起こることではなく、感染によりできた抗体にだって普通に起こること。その度に無防備に感染するよりは、その度にワクチンで備えがあった方がよくないか。

むしろ、ワクチン接種によりウイルスの変異リスクが下がるらしい。まあ、変異は体内などでの増殖時に起こるのだから、ワクチンでウイルスの増殖を抑えた方が変異を防げるのは自明の理ではある。

・若者がコロナワクチンを打つリスクリターン

「コロナワクチンは若者にとってリスクとリターンが釣り合ってない」系の言説では若者の重症化率の低さが引き合いに出される。

しかし、前述のとおり重症化しないからなんだという。割と「重症」を経ることなくその後の生活に支障を来したり死んだりするにもかかわらず、「重症化」はしづらいという一面が独り歩きしてワクチンのリターンが過小に見積もられてはいないか。

加えて、ワクチンのリスクについても少し気になるところがある。たかだか2日程度の発熱・肩の痛み、極めて稀な健康被害くらいなら普通にリスク小さくないか?別に2日間丸々何もできないわけでもない。
時給や日給で働いていて、かつ生活が苦しい状態ならまだ分かる。しかし、月給を受け取る一般的なサラリーマンが打つ分にはたかが知れているだろう。リスクが過大に見積もられてはいないか。

ワクチンによる健康被害も確率的にゼロではないが、それは感染による長期的な健康被害やワクチンによりリスクを低減できることを踏まえると取るに足らないものだと自分は結論づけた。これまでに5回、直近は2023年10月に打っている。

いかに確率が低かろうとワクチン接種というロシアンルーレットはしたくない、という気持ちも分からないではない。
しかし、我々はワクチンを打とうが打つまいが「感染・発症するか」及びその後の「重症化、ロングCOVID、後遺症となるか」というロシアンルーレットをやらされ続けている自分が若者かはさておきそこで弾が出るリスクを低減できるのなら、自分はワクチン接種という、よりリスクが小さくリターンの大きい方のロシアンルーレットをやる。


◆「コロナ対策禍」関連

「コロナ禍ではなくコロナ対策禍だ」という言説も当初から根強く、状況が落ち着くにつれさらに強まっているように見える。
しかし個人的には、「コロナ対策禍」で済んでいるのはコロナ対策に力を入れたからで、手を抜いていたら本当の意味でもっと酷い「コロナ禍」になっていたかもしれない……とも思うところ。

・高齢者優先で若者が犠牲に

ただ、正直なところ自分としてもこれはあると思っている。前述のとおり自分は個人としての選択で自粛したりしなかったりしたが、社会としては高齢者側に偏りすぎていたのではないかと。

しかしながら、自分は感染対策をするにあたって「高齢者のため」などとはこれっぽっちも思っていなかった。自分が感染・発症すること、そしてロングCOVIDや後遺症が嫌だっただけ。徹頭徹尾自分のためだ。とはいえ、自分も若者の犠牲に一部加担してしまっているといえばそう。

・出生数の減少

コロナ禍における婚姻数や出生数の減少がデータとして出てきている。これについて、「コロナ禍で結婚や出生が減ったのはコロナ対策のせいだ」という指摘も一理あるだろうとは思うが、それの根拠とするためには「コロナ禍がなかった場合」とではなく「対策しなかった場合」との比較が必要なはず(推計が難しそうだが)。

リーマンショックの対応がまずかったと指摘する際に、リーマンショック前のデータと単純に比較したところで、いやそれリーマンショック自体の影響があるでしょと。
「コロナ対策」による悪影響を示したいのであれば、ノーガードで感染爆発していた場合などの出生数を推定できていなければならないのではないか。

・生命至上主義

高齢者の命を守るために重症化しづらい若者を犠牲にしている(ように見える)ことをもって、一連の新型コロナ対策を生命至上主義の発露と見る向きがあるようだ。

ただ、自分はあまりこれにピンと来ていない。
少なくとも自分は、命を守るために自粛するというよりは、どのように立ち回れば一番幸せになれそうかを考えた結果自粛したりしなかったりするのであり、あまり生き死にとして捉えていなかった(むしろ危機感が薄いまである)。

それに、死にさえしなければいいと考えているのはむしろコロナ対策反対派の方で、これはこれで生命至上主義感があると思ってしまう。
自分からすれば「死なないとしてもコロナに罹りたくないしロングCOVIDや後遺症も嫌だから自粛する」と「まず死なないのだから自粛は愚か(特に若者)」だと後者の方が「生命至上主義」だと感じる。感覚的なもので一般的には違うのだろうが。

●誰も責任を取らない

コロナ対策により出生数を下げてしまったであろうことや学生の青春を相当程度奪ってしまったことなどに対し政府や対策ガチ勢が責任を取らないのと同じように、コロナ対策反対派だって感染拡大の責任を取ったりはしない。亡くなった方の遺族や感染で未来が閉ざされてしまった方本人に慰謝料を払うわけでもない

コロナ対策による弊害と感染拡大。誰もが少なくとも一方に加担しているが責任を取らない。そしてその両方に加担した自分もまたその責任を取らない。

誰かが責任を取ってくれるわけではないし、責任を取ってくれれば不利益を被っても構わないかというとそれも違う。
だからこそ、間違いもあるだろうが、様々な情報を踏まえた上で自分が納得できる立ち回りをこれまでしてきたし、これからもしていく。とりあえず今はそんなことを考えている。

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