物質の正体 その本質とは
物質の正体・・・それは、毒だ
毒性学の父であり錬金術師のパラケルススの言葉を借りるならば
俺はこれを初めて聞いた時、この発言に対し強く共感したのを覚えている
かといって俺が物質を毒だと思うのは、何もこの発言に影響されたからではない。
この発言を聞いた頃にはもう、その考えを持っていたからだ。
その上で俺はこの発言に共感した。
よくよく考えれば、この世には「毒にも薬にもならないもの」など存在しないのだ。
それは「水」ですら例外ではない
あらゆる生命にとって必要不可欠な水だって過剰になれば人を殺す
そして時に、水は物理的にも人を殺しに来る
災害の一つに「津波」という現象があるだろう。
俺はこの「津波」という言葉を「津」と「波」に分解して考えた。
どれだけの人が知ってるかは分からないが、「津」という漢字一文字にはこんな意味がある。
さらに、人体から出る液体を「津液」と呼ぶのだそうだ。
じゃあ・・・「“津”波」というのはこの世という人体から何かしらの液体が流れ出した結果起きる現象と言えるのでないか?という疑問が浮かぶ。
少し話は逸れるが、まずそれを理解するためには、この世をもっとフラクタルに見る必要がある。
フラクタルに見れば、この世とは壮大な人間の体内での出来事なのだ。ならば、全てが毒でできたこの世界において、我々を作る存在は何なのか?
まず、我々は世界を形作る細胞である。ここまでは、一度は同じことを考えたことがあるという人は居るのではないだろうか?だが、俺はこれを確信している。
この世が人でできているという考えに辿り着くところまでは、行き着く人は多いが・・・
もっとフラクタルに見れば細胞によって形作られるのは我々も同じだ。つまり、我々もまた、人によって作られているのだ。
では、この世がフラクタルで、この世そのものも我々人間と同じような性質を持っているという以上、やはり「“津”波」というのはこの世という人体から何かしらの液体が流れ出した結果起きる現象と考えて間違いないだろう。
そして、この世という壮大な人体から出る液体が津波という現象となって人をたくさん殺すなら・・・またこの世にある、ありとあらゆる物質が人にとって必要不可欠な反面、人にとって毒となるなら・・・
人から出る「欲望」もまた、形を変えた毒なのだろう。
ここからは、俺が見たある夢の話をする
俺は一度だけ、自分が欲しいものをすべて手に入れた夢を見たことがある。莫大な財産を築いて、飲みたい放題、毎日派手に遊び放題。
現実では酒なんか飲んだこともないのに、高い酒をありったけ飲んだりしてさ。望むものはすべてが手に入ったし、逆らってくるやつは誰もいなかった。毎日が“ギラギラ”してた。
でも、実際は俺はこういう派手なのは好きじゃないんだ。群れて騒ぐよりも一人で居たい。
だから、夢の中の自分に対しても疑問が起きる。果たしてこんなものが本当に自分が望んでいるものなのか?ってね。
自分の中にこんな願望があるとは思ってなかったし、今でもそんな自覚すら持ち合わせちゃいないんだ。
でも、その実「夢ならば覚めないでくれ!」とか思っていたのも事実さ。
一見、最高に見えるだろう?こんな夢を見てしまった日には、さぞ気分が良かろう。
だが、俺にとってその日の朝の目覚めは過去最低だった。
目覚めた俺を待っていたものは・・・
たった一つの喪失感だった。
無いんだよ。何も。
夢の中で自分が手に入れた富も、名声も、権力も有り余るほど持っていた金だって高級品だって・・・何も無い。
何一つこっちには持ってこれない。人生というたった一夜の夢物語。今、我々が現実と呼んでいるこの世界も夢なんだ。
何度も言うが「物質」は現世でしか役に立たない。水と一緒で、なくては生きていけないが、有りすぎても良くないんだ。依存したり、求めすぎると毒の本性が顕になる。
この人生だって一つの夢だから・・・
だから、物質というのは持てば持った分だけ後で虚しくなるという強烈な副作用つき
つくづく、とんでもない猛毒だよ・・・
物質ってのは・・・
まあ、毒に生き、毒に死ぬのが人というものなのかも知れないけどね・・・
でも、やっぱり程々が一番さ・・・何事も
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