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自己責任 と、免疫 について

メモ: 自己責任 について

私が思う「自己責任」とは、
大切な自分の命のために、その時の自分にできるベストな選択をし、また何度でもいくらでも選択し直す、その能動性の主導権を持つ、ということだ。

「自己責任」において「責任を尽くす」とはどういうことかと言うと、
私は、自分を大切にする選択を、その時その時で、自ら能動的に行うということだと思う。
その時その時の自分で、常に新しく選択し直すということだと思う。

常に新しく選択し直すというのは、これまでとは違う選択肢を選ぶということもあるし、今までと同じ選択肢を選ぶということもあるが、
いずれにしても、自分を大切にするという意図でもって、自ら選択肢を選ぶ力を行使するってこと。

でね、今色々自粛しているのは、自分の命を大切にするため、大切な人の命を大切にするためだと私は思うのだけど、
その自粛のせいで命が大切にできなくなるってのは変な話だと思う。
私がバカだからかもしれないけれど、そんなのって全然筋が通らないと思う。
私たちは、いつでも、かけがえのない自分自身を本当に大切にするための新しい選択肢を選び直す力を使っていい。

ところで、
めったに見ないけれど、メディアの放送を見て何だか変だなと感じる原因がわかった。
なんかね、私には、
前提として「私たちは無力である」って言われてるみたいに感じられる。
私は、自分が無力だと感じる事はあっても、自分が無力ではないことを知っている。
私は自分が無力ではないことを知っているから、自分が無力だと感じる時は気分が悪い。
テレビをつけると、私には、まるで「私たちは馬鹿で無力だ。だから賢くて力のある人に守られるべきなのに、なんてこった頼りにできる人がどこにもいないじゃないか」と言っているみたいに聞こえてくる。
変テコな趣味のエンターテイメントだ。

今地球の空気がとてもきれいになって、自然の美しい回復力があらわになった。
戦争も、高度成長期もとっくに終わっている。

私は、戦いをを生き延びる時代はもう終わっていると思う。
でね、なもんで、私は、
私の免疫を、自己と非自己を明確に分け、非自己の存在を認識しながら、かつ自己を生きる知恵だと捉えている。
怠け者の私としては、免疫を闘う力と思うとしんどいんだよね。
がんもできたことだしね、私の免疫は「非自己と闘う力」というよりも「動的調和を探求する力」だと捉えた方が、
私自身の言葉が"生きる"という方向を示す。

大切な自分が生きるための選択って、決死でするもんじゃないと思う。
生きるって、素敵なことだ。
上手く言えないのだけど。

私たちは、バカでも無力でもなくて、
能動的に有機的調和を探求できる、ユニークな知恵のある面白い生き物なのだと、私は思っている。

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