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【読書記録】言葉を吸収する

糸井さんの『こどもは古くならない。』を読みました。
歳にして30も離れているので「さん」づけで呼ぶのは適切ではない気もしますし、お目にかかったこともないのですが、何か親しみのようなものを込めて「糸井さん」と呼びたくなるような優しい印象の文が集まっています。

その中から、ハッとさせられ、書き留めたものの中からいくつかをご紹介。

「なんとかなる」ほどすばらしいことはない。
「なんとかなる」は、「うまくやった」の同義語である。
同じじゃないけれど、同じようなものだ。
なにかしらを失っていたとしても、
どこかしらに傷をつくっていたとしても、
「なんとかなる」に勝るものはない。
勝った負けたよりも、成功したかしなかったかよりも、
「なんとかなった」のほうが、価値が上なんじゃないか。
いや、上だの下だのも関係ないな。
「なんとかなる」のなかには、欲も夢もないかもしれない。
そこらへんのいろいろに足をとられていない。
ただ「なんとかなった」のは、
「なんとかならないかな」と
じたばたするのをやめなかったじぶんのおかげだ。

p26

いつもじたばたしていますが、こんな言葉をかけられるともう少し、あと10年くらい、いや、子どもが一人立ちするまでだからあと20年くらいはじたばた仕事をがんばろうと思います。

なにをするにしても、大事なのは人だ。
いい人が、力を発揮できるようになるような環境があれば、
いい人は、力を発揮できることであろう。
いやいや、冗談みたいだけれど、そういうことだ。
人と、人がのびのびと活躍できる「場」をつくる。
それが、なにより大事なことだと思っている。
一にも人、二にも人、そして場。
これが「生み出す」ということの根っこだ。

p70

私は、ほぼ日のようなクリエイティブ集団の中で仕事をしているわけではありません。
また、集団の中で環境を中心となってつくる立場でもありません。
しかしながら、職場に関わる一人として、特に若手がのびのびと仕事をできるような場づくりをしていかなければいけないと考えた次第です。

インフルエンザの流行でも、社会はフルスイングを失う。
人の気持ちが縮こまってしまうのは、高くつくのである。
なにかを、無意識に「思いっきり」やれるというのは、
ほんとうに、うれしくも幸福なことなのだ。
不安を抱えるのは容易い。フルスイングには希望がいる。

p235

感染症の状況も少しずつ良くなってきたように感じられますが(騒がなくなっただけかも)、思いっきり何かできることがこんなにも幸せであるとわかったのですから、子どもたちが、まずはわが子がフルスイングできるよう支えていきたいと思います。


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