見出し画像

摂食障がいの克服49【ことば】

【ストローク】

 以前書いた、ストローク:『他人の存在を認めるための、行動や働きかけ』って一日生きている上で、私たちに栄養を与えてくれるもので、このストローク定義を発案された、エリック・バーン博士は、『人は、ストロークを得るために生きている』とおっしゃっています。

 『プラスのストローク』は、目をみてもらうとか、褒めてもらう、ぎゅってしてもらったりとか、私たちに幸せを感じさせてくれます。『マイナスのストローク』は、たたくとか、叱るという、例え、私たちの存在を認めてくれていても、負の感情を呼び起こすものです。

 けれど、『マイナス』のストロークであっても、私たちは、そこへ、また返すことができますよね。『何でそんな言い方するの』、『もう一度、時間をください』等、関係が対等(社会的に、上下関係があったとしても、人として)であれば、それができると思うんです。

 一方、ディスカウント(相手の存在を認めない)の言動、例えば、無視する、嫌味を言う。など、相手の存在を、対等とは決して認めていないもの。DVもそう、虐待もそう。いじめもそう。弱いものをいじめる、その人の人生にとても大きな影響を与えるから、本当にやめてほしいです。本質的な悩みに向き合ってほしいと心から願います。他人(弱者)を巻き込まないでほしいと、私は思います。巻き込まれたほうが、一生の傷を負います。

 ディスカウント・・・現代であれば、ラインの未読スルーなんかも、これにあたるのかな。
 でも、そこに至るまでの経緯もあったりするのため、一概には言えないとは思うけれど。・・・でもどうでしょうね。そこに至るまでには、ディスカウントがあったかもしれないですね。対等に見ていないと、起こり得る。

 既読スルーは、もうきっと、相手は忙しいだけなので、むしろ、ストロークにカウントされると思います。マイナスというより、プラスの。

 また、きっと、しんどいなあって思ったときに、こちらからラインする相手は、きっと、『プラスのストローク』で返してくれる、って信じていたりして、こちらの気持ちも『好き』だから送っていると思うから・・・。

 【ことば】

 そのストロークの中で、ことばって、ものすごく大切ですよね。
 こちらがきいてほしいと勇気だして(何気ない会話ならともかく)発言していて、それに対して、相手がどう反応するか。

 まず、他人である以上、100%理解するということは不可能なので、他人と関わる以上、妥協、そして、許せる・許せないのボーダーラインの折り合いというところになると思うんです。

 また、摂食障がいになる気質だとか、HSPだとすれば、もうことばにする時点で、相当の我慢をしてから、ってあると思うんですよね・・・。

 知らず知らずにがんばるし、知らず知らずに無理するし、でも、自分がつぶれてしまいそうだし、『no where』(本当は、『now here』なのに)になってしまいそうで、勇気出して、人に話す。

 それで、受け止めてもらえればいいし、マイナスでも返ってこればいいし。

 私が仲よくしている方は、耳が遠いんです。その方のせいではないですが、話しかけては、諦める。そんな癖がついている。

 普通に会話できる人と(私の声が聞こえる人と)会話すると、最近それだけで嬉しいです。

 ことばって、やっぱり大事です。それが、手話でもいいし、ボディーランゲージでも、意思疎通できればいい。意思疎通ができないとは、本当に、ストロークで考えたときに、こちらがずっとずっと投げかけて、諦めるようなものです。

 人間には、感情がある。どうどうと言語化できるものもあれば、ニュアンスで伝えたいこともある。

 耳が遠いというだけではなく、例えばこちらが発言することを、100%の柔軟性をもって、受け止められる人と、そうではない人っていますよね。それがいいとか悪いとかではなく、50%、脳がもう、他人の考えを受け入れられない、そうなって、50%はじゃあ、聞いてくれるのかなってなったら、聞こえない問題とか、色々、人と関わるって、大変なこと。

 でも、その出会いによって、過去全部後ろを向いてしまった、自分が、ちょっと前を向いているとしたら、素敵なことでもあるのかもしれない。

 そんなことを毎日思っています。

 ことばって大事ですよね。

 以前書いた、同じくエリック・バーン博士の6つの時間配分の、『親密』の時間。通常でも本当に大事な時間で、摂食障がいになってしまうと、なお、必要な時間です。

 今朝、youtubeをつけたところ、りゅうじさんが、『給食カレー』を作られていたので、作ってみました。

 もやもやすると、お料理したり、冷蔵庫掃除したりします。
 以前だと過食嘔吐していたのかも、と思う時間。

 過食嘔吐も体力がいるので、買い物いったり、それすら引きこもってしまう私にはできなくなります。正しさを求められても治らないし、正しいアドバイスで治るなら、とっくに治ってると思うし・・・。

 でも、生きて行かないといけないから、人が仕事をするように、人と関わるように、1日生きていくために、何か探している、生きようとしている、行動だと私は思います。
 
 
 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?