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摂食障がいの克服178【摂食障がいのゴールや夢】

 【『摂食障がい』のゴール】

 働き出してから1ヶ月以上が経過しました。(ゴールデンウイークは働いていませんが)

 その前には休職を経て無職になっていますので、体力的に気力的にきついです。内容もまた、プレッシャーの掛かる内容もありますので、仕事に行く前には毎日のように(ではなく、毎日)弱音を吐いています。

 摂食障がいは私を救ったわけです。こんな憎い症状が何を救ったかって、恐らく命ではないのかと振り返れば思うのです。正確には意味の分からない、自分が人間でなくなってしまったような症状に頭の大部分を奪われるので、その間、悩みの本質から回避している状態のため。

 拒食症も恐ろしい症状です。どんどんガリガリになり、食べなくてもなぜか平気で、仕事は普通にするのに、世間に分厚い壁を作っていわば断絶してしまう。そこにあるのは、心の苦しみで、しかも数年に渡り我慢や無理を重ね蓄積した闇だと思います。

 この何年分の我慢、自分を殺して生きてきた状態。息子がいるから生きている。けれど、だからこそ孤独もあるわけです。自分が、ただ、普通にお母さんをできなかった、という。
 名残は今でもある。ママチャリ乗っている送り迎えのお母さんたちが眩しい。でも時間は戻らない。

 そうか。だから記憶が飛んだんだな。2年分の記憶がない私。
 ただ、お母さんでいたかったんだ。

 もう躓きはずっと早いころにやってきて、私から普通を奪ったんだ。

 そして、過食症はいよいよ自分が化け物になってしまった、と感じる瞬間。自分なんです、食べてるのは。解凍し続け何なら次々新たに料理したり(私の場合体力の兼ね合いから、衝動的に買いに行くという症状はなかった)。生きていかなければなりませんから、ある程度の食材が家にあるわけです。あの頃、仮に旅行に行っても、お土産が買えなかった。一晩で全部食べてしまうでしょうしね。

 自分なんだけど自分が望んでいない行動。これこそが、自傷行為である。

 自傷行為なんだけど、本質的な闇から逃げて、本質的な闇にまた解決を見出そうとしている長い時間。

 それで、結果的には、命が続く限り、ゴールを目指さなければいけない。
 何も人生のゴールなんていう大それたものではなく、なぜ摂食障がいになり、なぜ摂食障がいのエキスパートともいえるほどに、すべての症状に特化というか詳しくなり、なぜ、摂食障がいも含めて人生がこれほどまでに複雑になり苦しみ、それでも生きてきたか。(結果人生のゴールというところでもありました)

 摂食障がいに依存して生きている間というか、依存しなければ命が危うい期間は依存していいと私は思うし、それが例え何年、数十年続こうとも、キャパというものがあるから。それがあるから辛うじて保たれる命もあると思います。26キロのお友達が、克服する意志を持っていなかったなら、それはそれで今彼女をそれが守っているんだから。悔しく思いますけどね。まだまだこれから何でもできるのにな、って。

 しかしながら、私自身は克服をしようと思って、もうあれから数年経ちますが、様々な恐怖と闘い、今は食べられない食品はなくて(摂食障がいの人には、なぞの『許可食』『禁止食品』なるものがあるので、これがまず大きい)、毎日カロリー計算も特にしていなくて、毎日3食食べてて、体重も54キロ(働き出して増えて、そのまま減らない)になって、足も太くなって、細身のパンツなんてもう捨てちゃって。(デニムだけはずっと同じものを今も履いていますが)克服したかった。少なくとも、摂食障がいから自由になりたいと思った。

 食べることや体重、体型は、個性なのだから。目の前の女性が細くてきれいで、それはもう名残です。癖。後、恐らく私は、顔が動かなくなった過去とか、実は自分の顔の原型すら保たれない、とある恐ろしい病気になったことがあって、醜形恐怖症なんです。自分の顔が自分なのか、逐一確認しないといけないんです。それは、今も。

 それはともかく、摂食障がいを例え経験したとしても、いわば仕事の場所では人間として、対等だということだと思うのです。仕事をしていて、上司・部下の違いあれど、敬意をもって接し合っていい。上も下もなくて、本当は必要以上に自分を卑下する必要もなくて、でもついつい、人を褒めて自分をけなすけど、本当にずっとそれでいいのか。

 そういった流れから、例え時給でも、例えお給料がよくなくても、再び働き始めたわけです。私としては、ずっと無職のままいるのではなく、やはり再び社会に出ることが、必要であった。いえ、必要というより、望んだのだろうな、と。今のお仕事に興味を持って、『詳細をみる』をクリックしたつもりで『応募完了』したのですが、そのあとは私すごいがんばりました。

 面接が決まって、その場でスーツとシャツを買って、写真撮りに行って履歴書送信。面接の練習も大声でしてみたものです。

 仮にフルタイムじゃなくてもいい(私の場合シフト制になるので、7時間以上働いたり週7の週もありますが、逆に4時間の日もある)。
 けれど、もう一度、摂食障がいなんかに振り回されずに、世間に向かい合うこと。それが自分なりの『ゴール』であると思うのです。

 【脱線して弱音】

 これからも毎日弱音を吐くんだろうな・・・。
 
 先日、憧れの上司の方が素敵だという話を友達にしていたら、
 『NAも目指したらいいやん』といった。
 ・・・この人は本当に・・・

 ずっと昔、『すくらんぶる同盟』という漫画が好きだったんです。
 主人公のセナが、とある女優さんの代役に選ばれるのです。
 しかしながら、女優とはかけ離れた演技力(確か文化祭ではわかめの役だったか・・・こんにゃくだったか)のため、それがこの映画を潰したい黒幕の策略であった。

 マサタカがいう。『ひとつだけ、この策略をひっくり返す方法がある』
 みんな『どんな?!』
 『セナがしっかりと演じ切ることだ』・・・セナは言い返せなかった。正論すぎて、正論すぎて、不可能な正論過ぎたのであった。

 よく思い出すんです。私は一番端っこが好きだし、一番後ろが好きだし、一番隠れていたいし、地味でいいのですが、それでも憧れは憧れとして、自分にできる範囲で細々と生きていこう、そう思うのです。

 弱音を吐きまくりながら、じたばたしまくりながら、一応仕事では1ヶ月続いています。

 【本筋】

 その昔、摂食障がいのお友達がいたんです。

 彼女は当時20代後半。

 過食嘔吐と拒食症を患っていた。
 けれど毎日お仕事がんばって、猫さんをお世話して、お洗濯もマメで、こんなきれいなお嬢さんがなぜ。

 なぜ、冷凍のお肉まで過食して吐くのか。

 (私自身は冷凍のお肉、また調味料を飲む等という症状までには至らなかった)

 その彼女に私は聞かれたのです。

 『克服に向けてがんばってるのはわかる。夢は見つかった?』と。

 私その時、理解できなくて。なぜ摂食障がいの克服に、夢を見つけるということが結びつくのか。けれど、夢なんて大げさじゃなくていい。けれど、摂食障がいにどっぷりつかるより、それから少し離れてみる景色が違うっていうことだったんじゃないのかな。

 そのお嬢さんは、摂食障がいに関しては寛解に近かった。

 ご結婚されたのです、再婚だったと思う。『この先、過食嘔吐を選ぶのか、そうではないのか』と言っていた。

 過食嘔吐が何年も彼女の命を守っていたとしたら、その方とご結婚されるという決意は、その依存症を手放すことだった。

 亡くなったんです。
 そのあと、全く関係ないご病気になり、ご主人と生まれたばかりのお子さんを残して。

 そのお嬢さんに、聞かれた、『目標は見つかった?』ということば。

 摂食障がいの克服と目標とって全然違くないかな、と思ったもの。

 けれど、長らく長年この苦しい症状に苦しみ続けると、目標ぐらい持っていいのだと。今までの自分なんか脱ぎ去っていいから、目標ぐらい持ってもいい。

 もう大きなことはできない。
 でもひとりにニコニコしてもらうだけでも、きっといいし。

 時間給で働いて今日何人かのクライエントにニコニコして帰ってもらっただけでもいいし。

 目標なんて大きなこと言うとまた見失うので。
 小さくていいから、もう前に進む(というより、過去を切り捨てる)
 でいいんじゃないのかな。



 
 

 

 


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