君は君を改めろ
僕はそろそろ、自分のことについて認識を改めなければいけない。
決して上手に生きてきた人生ではない。
そしてこれからも、不器用に生きていくのだろう。
しかし、歳を重ねて、時を重ねて。
自分が人にウケる、人といることができる、人に求められている、人間であるというお門違い甚だしい、誤った自己評価を改める時である。
僕はそれなりには異性にモテてきた。
決して多くない出会いの中で好意を持たれること。お付き合いをすること。
すごくモテる、とまでは遠く届かないものの、求められることというのは確かに何度かあったと記憶する。
それ以外にも行きずりの人と言うような出会いも何度かあった。
だがしかし、25歳になって。現在の僕が求められていることと、裸の僕とにはだいぶ乖離があるということを僕は認めなければならない。
社会が僕に求めていること、世間が僕に求めていること、女性が男に求めていること。
そういったものと、今の僕とには確かな“ズレ”があることを僕は認めなければならない。
僕が社会や世間や彼女らに与えられるもの、いや需要に供給できるもの。それらは一切ないように思える。
しかし彼らが彼女らが、「こうでなければいけない」と言うのなら。それでなければ、成功しないのならば。
僕は路頭で野垂れ死のう。
僕の顔の横では、一輪のたんぽぽが優しく濡れるのみである。きっとそこに僕の幸せはある。
彼らが蝶で、彼らが薔薇なのならば。
僕は蝿で、僕は枯れ枝なのだ。
この世は全員が幸せになれるわけではない。
朝日を浴びて開く花があるのと同時に、その裏側には虫に食いちぎられ穴の空いた落ち葉も存在する。
正直で、素直で、正義なことと、人に囲まれ、目を集め、賞賛されることはまったく結びつかない。
人とは複雑なものである。
右と言われれば左に行ったり、白と言われたら黒のインクをぶちまけるのが喜ばれ、恩恵を受けるものだ。
秋の空は変わりやすい。一方、僕は窓の外の吹雪を見ている。
つまり君は期待してはいけない。驕ってはいけない。
覆水盆に返らず。してしまったこと、不可能なことは不可能なのである。
それなら君は社会を捨てる勇気が必要だ。
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
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