今月に入ってから、なにも生きた記憶がありません。 ただ毎日働いて、寝て。それだけ。 なにも楽しいことなんてありません。 本当になんか偶然だったら、今死んでもいいかなって、ふと思っちゃう毎日です。 仕事は不満もなく、満足でもなく。 プライベートは…不満足ですかね。 夢は諦めてもなく、でもなかなかモチベーションが今は湧きません。 こういう時はどうしたらいいのでしょう? なにをしたら、現状を打破できるでしょう。 20代がこんなに退屈っていうのは、よくないことだと思われます
「いくらキャッシュレス派でも、少しくらい現金も持ちなよ」 あなたにそう言われてから 少し厚みの増した僕のカードケース 泣いてますよ 1枚だけ入った漱石先生が 溜まる泪 もうすぐ溢れそうです あの娘の白いうなじに止まった一匹の虫 あの時僕は、君のことを馬鹿にしたけれど 今僕は この命捨てても 君になりたい そうだよ 僕は 虫になって 大好きだったあの娘の 右の頬の肌荒れに止まりたい 夏が来れば 思い出す 新緑の香り 焦げるアスファルト 夏が来れば 思い出す あの娘の笑顔 江
3本の傷跡があった その赤色は 溌剌と燃え盛る炎のようであり 冬を迎える直前のもみじのようでもあった 人生とはなんなのか そう考えさせられる その赤の残像がいつまでも目から離れない 人生とはなんなのか 僕の心に 静と動が入り混じる 混在する 彼女が背負った感情はなんだったんだろう 彼女はそれになんて名前をつけたのだろう その赤が迸る 明滅する ただひとつ 僕には彼女が救えない これだって戯言だ
何か月か前、僕は知り合いの同い年の女の子と話をしている中で、こういうことを言われた。 「わたし、三島由紀夫の『仮面の告白』を高校の国語かなにかで読まされたけれど、気持ち悪くて、吐き気がした。」 僕はそれから数多の時間を経て、彼女の発言とその構造を分析した。 そして、文学に触れない現代人。そして、現代のコンテンツに浸かる人間の潜在意識を掴んだ気がした。 つまり、こうである。 少なくともそういった人たち――これに該当しない人もいるはずである。機械的に現代人を一括りにする、マ
僕はそろそろ、自分のことについて認識を改めなければいけない。 決して上手に生きてきた人生ではない。 そしてこれからも、不器用に生きていくのだろう。 しかし、歳を重ねて、時を重ねて。 自分が人にウケる、人といることができる、人に求められている、人間であるというお門違い甚だしい、誤った自己評価を改める時である。 僕はそれなりには異性にモテてきた。 決して多くない出会いの中で好意を持たれること。お付き合いをすること。 すごくモテる、とまでは遠く届かないものの、求められることと
今から僕は、自分を正当化する。 人は人を傷つけながら生きている。このスパイラルからは誰も抜け出すことができない。 どうしても共存ができない人たちがいる。それはまるで太陽と月のように。 同じ時間、同じ空間。ましてや男女。 これはどうしようもない現実であり、巨大な山のように揺るがない事実なのである。 でも、反対に。 あなたと密になることでしか癒えない傷を持った人も必ず存在する。たとえ、それすら一時的な錯誤だったとしても。 心の傷が、それがどんなに小さい傷でも、たくさんの切り
僕は本や映画や本や音楽が好きである。 しかし、好きであるはずのこれらのことについて、あまり深く細かく憶えていないことが多い。 特に小説の一節。詩の一節。あるいは短歌。 どんなに感動した言葉や文章があっても、それらが表すことのニュアンスとそれ読んだフィーリング。これしか覚えてないことが多い。 これは映画でも同じである。(なぜか音楽は覚えていることが多い。やはり、メロディというものがあるからだろうか?) そんな僕が一つだけ。はっきりと憶えている映画のセリフがある。 そのセリフ
1件、インスタのDMを未開封で置いている。 相手は数少ない大学の友人である。 彼は自分とは違い、秀才で真面目な男である。 彼も社会人になり、人の営みに揉まれ、その理不尽や不可抗力性に蹂躙される日もきっとあるのではないだろうか。 しかし、彼はいまだに我が大学放ち、そして、僕たちに染みついたその香りを。そのソウルを。 彼はいまだに有していた。 なんとか根本だけはまだ芯を持ちつつも、徐々に上から腐敗が始まっている僕には彼のその姿勢に救われた。 そして、思わずDMをしてしま
もう取り返しのつかない、そして取り戻せない。そんな日々に想いと、悲哀を寄せる夜が僕にはたまにある。 慣れない渋谷の街を彼女と歩いたあの秋の日。 ゴダールを見て、上映室を出た時に前を歩いていた男女。その男の子の着ていたブラウンとレッドのチェック柄のジャケットが妙にレトロで渋くって、純粋にかっこいいなと憧憬の眼差しを送りつつ、どこかで敗北感を感じたのがまるで昨日のように感じる。 彼女とホテルに泊まった、次の朝。 清潔な空気と気持ちの良いまっすぐな日差しが差し込む窓際。 僕と彼
ある日、僕は夕食を食べ、自分の部屋の机でパソコンをしていたら、ガラッと部屋のドアが開き、酔った父親がご機嫌そうに入ってきた。 僕の父親は酒好きで、日常的に酒を飲んでいる。また、父は父の母に似て、お酒に強い体質なのだ。しかし、父はこの日珍しく少し酔っているようであった。 僕の部屋に入った父は、おもむろに僕の本棚を眺め、60年前に出版された教科書準拠版の『奥の細道』(おそらく、父の母のもの)を手に取った。 「弥生の末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものか
つまり、今の自分っていうのは。 劣等感、嫉妬、コンプレックス、後悔。何事もこいつらに足を引っ張られているということである。 自分が今求めていることは過去のこいつらとの離縁ではなく、こいつらでできた穴を同じもので埋めようとする行為なんだ。 自分が追い求めてきた「自分」であることは、こんなにも良くないことだったのか、とこれまた後悔の路を進みそうになる。 自分はなぜ中学の時にサッカー部をやめたのだろう、なぜあの高校に進学したんだろう、なぜバイト先の出会いをもっと活用したり大切に