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技術の中に必要な感性。

観た方に、どのように伝わっているのかは分かりませんが、
感性。センス。絶妙。なんとも言えない感じ。etc.
もし、↑のような印象を受け取って頂いた方々がいましたら、それはなぜなのか。
(伝える、伝わる為に)制作の際に、なにを意識しているのか。を、述べたいと思います。

前提として、自然の美しいものをそのまま精巧に作る。のではなく、自然の美しさに匹敵する(かもしれない)ものを人の手で作る。特徴(らしさ)を表現する。変換、翻訳する。ことを今の自分は選んでいます。なぜなら、前者にはどこまで忠実に再現できるかという正解(実物という設計図)があるからです。
※どちらが良い悪い、優劣ではありません。

技術と感性。(他にも持ち合わせていたい大切な要素は沢山ありますが)、なにかを作ったり、制作する上で、この2つがないと成り立ちません。意匠という言葉のように。

形が思い浮かんだり、想像、考えついたもの(勿論、誰かの真似事でないもの)を具現化する為に、それを表現、実現する術である技術が必要ではありますが、その人の感性やセンスの方が必須であり、とても大切で重要です。
なぜなら、器用不器用、潜在的な資質や素質など関係なく、時間はかかるかもしれませんが、(※ある程度一定のところまでの)技術は誰でも身につけられるもの。練習の仕方によって上手く、上達するものだと思っています。

なによりも、どこかのタイミングで必ず気づく時が来ますが、技術がある(技術さえあれば)=良いものが作れる。ではないのです。

↑で、技術と感性の2つをそれぞれ別々の要素として考えてきましたが、技術の中に必要な感性。という定義、切り口で、↓で言語化しておきたいと思います。

自然の美しさに魅せられて、多大な影響を受けている人間でありますので、
自然に在るものを美しいと感じた時に、表現する術、それを人の手で作るにはどうしたら良いのだろう。と常に、365日、24時間考えています。

それができたら苦労しない、この上なく果てしない難題のようですが、
自然界に直線は存在しないと提唱し、自然との調和を目指して数々の建築を手掛けたフンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser)の理念、哲学を知ってから、答えはとても簡単に思えています。

自分の中での答えとして、今持っていることは、装身具(ジュエリー)制作において、直線。面。角。を、目が捉える(目に付く)形、仕上がり、完成になると、
重厚感であったり、工業部品、自然物の対義語である人工物と紐づいて、率直に受け取る印象や身につけた時に、なんだか馴染まない(しっくりこないと感じる)要因になっている。と仮定しています。

そこで、制作の際に意識していること。着眼点は、目が捉える(目に付く)直線。面。角。を消す(無くす)ようにしています。消す(無くす)というのは、目立たなくする。ぼかす。と言った方が正しいかもしれません。

薄く、細く、繊細、な作りであっても、永く身につけて頂く為に、壊れやすくは作れませんので、
工夫によって、薄く(魅せる)、細く(魅せる)、繊細に(魅せる)ように、補強や厚さ、を、目立たなくしたり、ぼかします。

広告などの文字の字体、フォントから受け取る印象のように、直線。面。角。を消し(無くし)過ぎると、丸みであったり、柔らかさ、優しい印象が強調される為、
例えば、シャツの襟やズボンのタックのようにパシっと(きっちり)決めたい、石留めの枠や爪、照り返し、印台の指輪、鎬の稜線などは、消し(無くし)てはいけない箇所になります。

感性。というと、形そのものを決める上での発想であったり、デザイン力のようなものを指す美意識。のように思えていますが、
直線。面。角。の3つを要約して、細部の仕上げ方の選択(目分量や目算、感覚といった、常に変化する自分自身の判断軸)、ディテールにこそ、感性。が求められるのではないか。という意味で、技術の中に必要な感性。と定義しています。

φ1.0mmとφ1.1mm、0.1mmの違いで見え方に差異をどれだけ感じるのか。どちらを選択するのか。も、同様です。

錯覚を使い、直線。に見えるような、曲線を作る。平らに見えるような、面を作る。も、ひとつの術です。
ここを突き詰めると、軽く(軽やかに)見せる。繊細な印象を与える。植物モチーフに、生花のような瑞々しさを与える。などに繋がります。

人間の目は2つありますので、どのように捉えて(視えて)いるのかを理解すると、とても解りやすいです。

特に、面。は、奥行きがなかったり、平坦に、潰れたように見えやすい為、装身具(ジュエリー)全てにおいて、全体にほんの少し膨らみを持たせたり、高低差や角度を作るだけで、段違いに見栄えが良くなります。(と、思っています。)

指輪。に関しては、360°どの角度から捉えても(観ても)美しいと感じるように制作する為には、特に、特に必須です。ヤスリで、削る。にしても、ヤスリを滑らせるように用いて、立体的に削る能力も必要になってきます。

立体的に削る。というのは、目で見た時の違和感や抵抗を減らすように、例えば、光に当てた時の反射が歪んでいないか、綺麗な曲線や膨らみに感じるか(指輪を、ポリゴンのような多角形に頭で変換した時に、曲面を構成する点と線が結びが滑らかなのか)を見極め、人間の目以外で測ることができない精度を具現化するように、多面を同時に削ること。です。
母性原理(工作機械の精度以上のものは出来上がらない)を超えるのは、人の手。経験値と感覚だと思っています。

正面(真上)から観た石の留まった指輪が綺麗であっても、真横、側面から見た時に、指にはめる為の輪っかに石が乗っている(付けているだけ)ような単調な仕上がりにしてしまうのは、勿体無いなと思います。目に付きやすい、12時の方向に指輪の頂点を合わせた時の左右、10~11:30と12:30~2時と12~6時までの絞り方を見極める目の物差し(感性)と、指輪を構成する全ての線が輪の中心の点に向かうことを理解、意識すると違和感がなくなり、必然的に見栄えが格段に良くなります。(と、思っています。)

同じく見栄えでいうと、表から見える部分ではなく、裏側がより重要な役割を果たしています。表を綺麗に見せる方法は、裏側、表から見えない部分(奥の部分)を綺麗に仕上げること。です。風格のような、深み。(なんだかよくわからないけど、良い。凄い。美しい。) と、思う理由でもあると思っています。

※ (よく考えて、意識して) 手を掛けるほど、より良い仕上がりになりますが、それが技術の誇示となると逆効果。無意味。やり過ぎ。になってしまいます。

金属の鏡面仕上げを行う際には、金属の(視覚で感じる)重さを消すように、つるっとした光沢を与えるように磨くことで、見栄えが格段に変わります。消しすぎる(磨きすぎる)と、ただ単に形が歪むだけ。で、よろしくないです。
どこまでを磨くのか。(磨く、磨かない。)の、取捨選択もとても重要です。

花びらの”透き通った感じ”は、糸ノコなどで切り抜いて、透かしで作ることもありますが、透き通った感じの光り方、”光”に変換をして、金属の光沢で表現するようにしています。
その他だと、がらんどう、空間の間や余白を作って、軽さや抜け感を作ることで、視覚的に感じる重さを消します。

仕上げで金属の表面をマット、艶消しにする場合も、一度鏡面に仕上げて表面を整えてから、マット、艶消しに仕上げます。一度鏡面に仕上げたもの、仕上げないでマット、艶消しにしたもの、それぞれを見比べると歴然です。
仕上げ(鏡面磨き)でも同じことが言えますが、磨くことでいくら綺麗にしようと(光らせようと)しても、仕上げ前の準備がおざなりだと、綺麗になることはありません。何事も、準備の段階からが大切です。

直線。面。角。それぞれが、具体的にどこの部分なのか。写真や図に矢印や○で表記することもできますが、ご自身の審美眼で、見つける。(ここのことを言ってるのではないか)と、考えてみる(観る)ことがとても大切であると思っていますので、興味を持って下さる方がいましたら、工房兼店舗にて、お会いした時などにご質問(答え合わせ)頂けると幸いです。

制作によって得た、経験(体験)談も、これから書き留めていきたいと思っております。自分の言葉で記述する為、?な文章になり得ますが、伝わる方がいましたら、とても嬉しく思います。

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