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今村夏子「ピクニック」で学ぶ虚言癖の行動⑤まとめ

■ピクニックを読んで、何を感じるか


この小説、ここまで読んできて、誰が悪いのか、どっちが悪いのか?と決めつけたくもなるけれど、みんな悪いです。同時収録の「こちらあみ子」は明らかにあみ子は何かの障がいを持っている、ネグレクトの被害者だからなのか、七瀬さんが、現実と妄想がごっちゃになっているかわいそうな人だと思っている読者の方もかなりいて、びっくりするんですけど、七瀬さんは現実も妄想の違いも全部わかっています。なので、春げんきが結婚して、休憩室の話を聞いた時から、姿を表さなかったのです。

七瀬さんはルミたちを、ルミたちは七瀬さんを見下しています。新人はどちらも見下した上で、ルミたちと同化してしまいましたね。

愚かだなと、思うでしょうか。

さて映画「花束みたいな恋をした」で、「ピクニックを読んでも何も感じない人なんだよ」というせりふ。

そんなことを言うことじたい、七瀬さんやルミたちと何か大差ありますかね?
何も感じない、鈍感な人を小馬鹿にしている。
行動にうつさないだけで、人を見下しているという視線があることは変わらないですよね。

でも、人間って私たち全員、誰かを見下していかないと、正気を保てない生き物なんじゃないでしょうか?

どんな人間にも悪意というものは巣食っている。それを自覚するだけで、人に対する意識ってだいぶ変わると思うんです。

ああ、今、私はこの人を見下してると感じたとき、どう向き合ったらこの人とフェアになるだろうかと考える。

この悪意の感覚があるだけで、他人を尊重できるようになると感じています。ああ、今この人は自分を見下してるな、と感じた時は今の自分の環境や人間関係を見直す、いい機会になるんじゃないかと思うのです。

■今村夏子が与えてくれる癒し


だいたい「こちらあみ子」も「むらさきのスカートの女」もだいたい周囲の悪意にめためたにされてしまいますよね。

今村夏子作品と向き合ったとき「怖い」とか「もやもやする」という感想をよく見ます。
本当にそうでしょうか。

あみ子がのりくんにぶん殴られた時、スッキリしてないですか?
あみ子は少なくとも、のりくんに構ってもらえて嬉しがってましたよね。無視はつらい。

でも、あみ子がかわいそうと思う人もいるでしょう。私もそう思います。

でも、あみ子や、七瀬さんみたいな人間関係クラッシャーはどの人の日常にもだいたい登場してきては私たちを振り回してきます。

今村夏子作品に出てくる、変わった、迷惑なひとたちがめためたにされた瞬間、私たちは確かに癒されているんですよね。

だって、純文学を愛する私たちはスッキリした、なんて言えない。それがモヤモヤ、怖いに変換されている。でも、純文学でも出版されている限りエンタメなんですよね。あみ子も七瀬さんも架空のキャラクターです。めためたにされた時、スッキリしてもいい。

でも、あみ子や七瀬さんが日常に紛れ込んできた時にどうするか。良心が存在しているうちに、自分の悪意と相談する。

今村夏子は人の心に巣食う悪意をまざまざと見せつけてくる作家です。
本当に恐ろしいです。現生一じゃないでしょうか。おそらく千年先も読まれるような、古典になるでしょう。

自分の悪意と向き合った時、ぜったい、今より優しくなれるはずなのだ。

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