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それを求められましても

はじめに


今回はある日のツイートへのリプについて書いていきたいと思います。以前に取り上げたようなクソリプやコミュニケーションを一切無視したオナリプでもないのですが、想像力が豊かすぎて見えているものが違うのではないでしょうかと思うような内容でした。みなさんはこの内容についてどう思われるのか少し気になり、今回、この内容にしようと思いました。リプ主を貶める意図で書いているわけではありません。

お気持ちはわかりますよ


これは僕のある日のツイートです。この意図をどう捉えるかは読み手の自由だと思っています。司法試験合格者を応募要件にしているのに、3-5年目の社会人と同じぐらいの年収はさすがにどうかとは思います。司法試験に合格するまでは、自らの所得はありませんし、あるものでやりくりしなければなりません。法のスペシャリストへの対価がこれでは失礼に当たるのではないと思うわけです。そして、気になるのがこれに対するリプです。

言いたいとはよくわかりますが、内容と少しズレた内容だと思うのです。「文系や士業を安く買い叩く国、、」と言っていますが、これは文系だけでなく、理系も含めて年収は低く、文系や士業に限った話ではなく、日本の労働市場全体の問題です。よくある論点ずらし(藁人形論法)とは少し違いますが、それを彷彿とさせます。司法試験合格者から士業や文系へと勝手に世界を広げています。確かに司法試験合格者から士業へ広げられなくはないですが、文面上はあくまでも、司法試験合格者について言及をしているだけで、どれだけ広げても法曹三者以外への言及は難しいはずです。そして、一番違和感を覚えたのが「勉強や資格に費やしたコストすらまともに返らないのに自助努力と言われても腹立つだけですね」という内容です。気持ちは分かりますよ。この人も僕も士業系の資格を目指し、一部の試験には合格しているので、お気持ちは分かります。
この内容のどこがおかしいって、勉強や資格に費やした費用を自助努力で解決しないといけないことに憤っていることです。まず、どの世界でも通用する万能な資格はありません。そして、士業の資格を持っているからというだけで、国に金銭的な保護を求めるのはおかしいからです。簡単な例で言えば、いい大学に入るためにめっちゃ勉強しました。でも、いい会社に入れず、低賃金な会社に勤めることになりました。就活に失敗したから、大学受験に費やした時間と費用を国が払えと言っているに等しいと思うわけです。どう考えても、自己責任の領域だと思うんですよ。そこまで手厚い保障をされないとできない仕事なのでしょうか?
基本的に士業は法律で業務範囲が決められている仕事で、それだけで十分保護されていると思います。そして、それに費やした費用まで求めるのは変な話です。そこは自己責任だと考えるのが一般的だと思います。社会主義体制度を求めれば、市場原理が働かず、賃金は安いままになってしまいます。労働市場が流動的になれば、市場原理が働き、賃金も上がります。この人が求めているのは前者の社会主義な保護制度です。自らを優遇しろと言っているように聞こえる上に、結果として、全体的な賃金は上がらず、根本的な解決にはつながらないと思います。


どうしても認めてほしいのですかね


そして、これに対する僕のリプはこのようになります。

そして、それに対するリプです。



ここでこの人のリプの趣旨がようやくわかりました。とにもかくにも士業を大切にしない国が悪いと言いたいのではないかと気づきました。頑なにこちらにそれを認めるように求めている気がしてままなりません。気持ちは分かるのですが、そんな甘い世界と思っているわけないですよね?と思ってしまいます。僕がこの人の理論を認めたところで何になるのか?とは思ってしまいます。
そして、リプのような譲歩を付けるときは、言いたいことは理解しているけど、それでは不十分でこっちが真理だと言う場合と、認める気はないが一応付けておけば角が立たなくて済むという場合です。今回がどちらに当たるのかはリプをした当人ではないのでわかりませんが、一連のリプを見る限り、士業を殿様商売のように思っている節があり、それで食っていけないのは国の制度が悪いという「保育園落ちた、日本死ね」と同じ日本オワッテいる理論です。このような賃金で雇うことになるまでに国の責任が一切なかったとは思いませんが、あたかも国が分断を生むんだかのように言うのも不可解な話です。確かに賃金が低いことに対して国が一切の責任がないかと言えば、そうは思いませんが、そもそも、これは民間企業で起こっていることで、社会主義国家ではありません。何でもかんでも、国のせいにするのは筋違いではないでしょうか?
日本がいかに過ごしにくいのかを相手に伝えたところで虚しいだけです。これは一種の押し売りです。確かに士業への理解が少ないのも確かですし、それについて雇用する企業は十分理解していないとも考えられます。であれば、自らが動くべきで駄々をこねるのはおかしな話です。国がおかしいと言うのは見当違いもいいところです。どういうリプをしようが自由ですが、思想の押し売りみたいなことは止めた方がいいです。自らの価値を下げるだけです。勝手に敵を作って挑むのはその人の自由ですが、それを人に押し付けるのは近代社会における自由に反します。
140字でその人の言いたいことを完全に理解することは難しいですが、元々の話からだいぶ逸れるのであれば、引用リツイートをしていただきたいもんですね。リプはコミュニケーションで、引用リツイートはリプよりもう少し自由になると思いますし。コミュニケーションで重要なのは、自分の言いたいことを一方的に言うことではないですよね。
こういった人とはもう少し議論をして、真意を探る必要があると思います。やはり、140字では限界があります。

この人のリプの内容はよくわかります。確かに現状でおかしい所は山のようになります。ですが、それを1つの市場として捉えることができないのでしょうか?と素朴な疑問が生まれました。士業への理解が足りないのであれば、自ら士業についてアピールして、学校や地元で講演会をして、理解を深める活動をしたり、地元の小さな会社で社外セミナーの講師をしたり、できるように自らが活動すべきなのではないかと思います。理解されていないのあれば、理解を求めることは市場があるということになります。そういった努力をせずに、それを国のせいにするのは、自らのビジネスチャンスを潰しているだけです。そして、資格を取得するために勉強していることも無駄になってしまいます。非常にもったいない行為となります。
士業は法律で保護されている特別な仕事ではありますが、一サービス業であり、労働市場原理で動くものです。労働市場原理の上に成り立っているものです。労働市場原理を活性化させるために士業への理解を深めたり、アプローチをしたりするものです。文理問わず専門家の給与が低いままだと本当に優秀な人は年収の高い外国に流れてしまいます。現在の労働市場原理をより活発にして、給与の上がる仕組みに移行していく必要があると思います。それは士業だけでなく、すべての職種、業界において必要なことです。

最後に

僕は以前からリプにはコミュニケーションが発生します。このnoteでもコメントにはコミュニケーションが発生します。コミュニケーションとは相手の意見を汲み取りつつ、自分の意見を言うことであり、相手の言っていることから逸脱することは望ましいことではありません。ましては、それを押し付けることは言語道断です。140字と限られた文字数ですべてを表現するのは至難の業で、140字にコミュニケーションと自らの意見を詰め込もうとし過ぎるとおかしなことになってしまいます。自分の意見を優先したい場合は、引用リツイートをすべきで、相手とコミュニケーションを取る場合はリプが望ましいと思います。議論をする場合はリプより引用リツイートの方がいいかもしれません。そこにはコミュニケーション性よりも自らの主張が強くなってしまうからです。自分のしたいことを主眼において、リプか引用リツイートをすべきで、不用意なリプはどうでもいいいさかいを生むだけで、無益なだけです。悪気があって、そういったリプをされていることはほとんどないはずです。SNSも現実世界の延長線で、リプにはコミュニケーションが発生するということをユーザーが知り、それを踏まえてSNSを使うことが求められます。どんなツールであっても最低限のルールは存在し、それを守ることが快適さに繋がるはずです。

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