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改革と革命

はじめに

皆さんは現状を変えたいと思いますか?現状を変えて新しい方向へ進めようとすることを改革や革命と言いますね。改革や革命と聞くと、現状を変えるいいことのように思うかもしれません。汚職事件が起こった後には改革を進めて、クリーンなイメージを定着させようとします。享保の改革に代表されるように政治を大きく変えるということが改革の役割です。革命は大富豪のルールではなく、実際に体制をひっくり返して新しい体制を作り上げることです。その代表例がフランス革命です。しかし、改革や革命は必ずしもいい方向に向かうものではありません。もっと言えば、出発点の状態を悪として、新しいものを善とするといったこともできてしまいます。今回は改革や革命について書いていきたいと思います。


新しいことは好きですか?

選挙の公約で改革を掲げる政党があります。そういった政党は既得権益を打破して、開かれた政治を行うとよく言っています。改革を掲げて、成功したのがおおさか維新の会です。橋下徹さんが大阪府知事時代に地方政党として立ち上げ、大阪府と大阪市の改革に取り組みました。維新の会が行った大阪府と大阪市の改革の功績はかなり大きく、大阪の活気を取り戻しました。橋下市長時代には低所得者世帯に補助金も給付されていて、市民サービスにお金が回せるぐらいまでに財政を健全化させています。僕も学生時代に補助金をもらったことがあり、申請も非常に簡単でした。

維新の会は常に身を切る改革を党是として、効率化を図っています。これは都市部だから成功したことです。維新の会が行った改革を田舎の自治体で行うとその自治体はさらに疲弊し、最悪の場合、消滅してしまいます。田舎の自治体で改革が進めにくいのそういった事情があるからです。都市部で田舎の政治を行っていると非効率だらけになり、改革を進めても問題がありません。田舎の自治体で都市の政治を行うと破綻してしまいます。以前、その内容について取り上げているので、そちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。


改革はいい結果をもたらすことが多いですが、行う場所を選ばないと破滅の道を歩むことになります。非効率という理由だけで、改革を行うことは危険ですし、非効率さが残っている理由もあるはずです。それが単なる既得権益まみれであれば、別ですが、手榴弾のピンであり、抜いてしまったがゆえに爆発してしまうということもあり得ます。身を切る改革で成功したのが大阪府や市のおおさか維新の会で、それで失敗したのが民主党政権の事業仕分けです。身を切る改革という響きは良いかもしれませんが、必ずしも良いものとは限りません。都市の政治が地方で必ず成功しない理由はそういったこともあるのです。改革がすべていいのではなく、どういった改革なのかまで把握する必要があります。改革は内容とセットになって考えなければなりません。


大富豪から大貧民へ

トランプゲームの大富豪では同じカードが4枚、もしくは同じマークで連番になっていれば、その時点で大富豪が大貧民になります。これを革命と言います。実際の革命でもこういったことは起こっています。革命は古代中国の易姓革命という言葉が由来となっていて、西洋のrevolutionがそのまま革命の訳語として当てられています。古代中国の革命(易姓革命)は天が王朝に見切りをつけて、新しい王朝が誕生することを指す言葉として使われています。天の意思によって、体制が変わることを指し、長期にわたり政治の座に君臨していると権力が腐敗し、天が新しい君主を求めるというものです。政権交代は易姓革命に近いと言えます。

Revolutionの革命は人民が体制をひっくり返すことです。体制をひっくり返すのに神の意思を重視していません。クーデターや国家転覆が西洋の革命に近いです。Revolutionはrevolveから派生した言葉で、回転というニュアンスがあります。ピストルのレボルバーも回転するものなのでその名が付けられています。西洋の革命は長期政権への審判ではなく、単にひっくり返すという意味で使われています。まさしく、大富豪の革命は回転と言えます。

大胆なことをすると○○革命であったり、○○の革命児と言われたりします。ひっくり返すという意味では間違っていませんし、産業革命のように生活が一変することがあるのでその意味で間違っていません。すべての革命が良い意味で使われている気がします。

現代で使われている革命はひっくり返すものであって、結構乱暴なものです。その最たるものが共産革命です。ロシア革命や文化大革命はあたかもいいことのように教科書で取り上げられていますが、独裁政治を樹立させ、たくさんの市民を巻き込んだ大事件です。特にロシア革命は帝政ロシアから市民を救い、ソ連を建国したと言われ、レーニンがヒーローのように扱われていますが、社会主義国家という名の独裁国家を樹立した単なる独裁者です。そして、そのソ連時代の思想を受け継ぎ、実行しているのがロシアのプーチン大統領です。文化大革命を起こした毛沢東も同様です。彼に至っては世界最大の独裁者と言われるほど死者を出し、約2000万人が亡くなっています。革命は非常に荒々しいものです。市民を救うものではなく、市民を犠牲に自らを利するものとなっています。

フランス革命も自由の象徴と言われますが、イギリスの思想家エドマンド・バークは自身の著書『フランス革命の省察』で、フランス革命はやり過ぎだと批判しています。フランス革命の発端となったバスティーユ牢獄襲撃事件は野蛮な行為と批判し、自由のためとは言え、ここまでやる必要があるのかと記しています。フランス革命も学校でいいことのように取り上げられますが、非常に暴力的で野蛮であるとバークは批判しています。自由を掲げて行っていることは旧態依然と変わらないことです。自由を求めて、暴力行為に走り、最終的に同じ道を歩むことになっています。自由や権利というのは、革命を起こす口実であって、反体制側にとって都合のいい政治体制を作るためのものなのかもしれません。左翼勢力はまさしくこういったことを体現しています。自らの主張のためなら、反対する者へ攻撃を一切厭わないところがまさしくそれです。革命が起こった後は大半のケースで独裁者が誕生していることがそのことを示していると言えます。革命は本当は恐ろしいものなのです。


最後に

小泉元首相が言っていた「古い自民党をぶっ潰す」は聞こえはいいですが、西洋の革命の荒々しさを感じます。改革はある程度、体制を維持しながら変えるべきところを変えていくものですが、革命はすべてをなくして、一から作り上げることです。革命は今あるものを潰して、新しい制度を作り上げます。それでのし上がったのが共産主義です。本来、革命は共産主義者のための言葉ではありませんが、マルクスの共産党宣言以降、そして、それを実現したレーニン以降、共産主義のための言葉のように使われています。権力の座から退き、新しい体制に権力の座を譲ることを大政奉還と言いますが、新しい体制を暴力的に作り上げようとして革命を起こしたい人たちが望んでいるのは体制崩壊です。響きは似ていますが、後者は手段や方法を選びません。暴力的な革命を起こそうとしている人たちは権力者をさらし者にして処刑したいと考えるかもしれません。暴力で勝ち取った権力は暴力でひっくり返されることを考えます。そのため、独裁的な体制になってしまいます。改革も革命も内容次第では前近代的なものになってしまいます。

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