ストレッチについて
身体がバキバキだ。
何をしたわけでもない。
いや、何もしていないからバキバキになったのかもしれない。
年齢とともに身体は衰える。それにも関わらず何もケアをしてこなかったのが原因だ。
特に肩こりが酷い。元々肩こりがある方だが最近は特に酷い。過去最大級だ。
そして今みたいにキーボードを叩くといった同じ姿勢をとるのがあまりよくないのだろう。時々、背筋を伸ばしたりして筋肉が硬直しないように心掛けているが、そんなケアでは気休め程度でちっとも良くならない。
僕は、肩こりに対して「大人」というイメージを持っていた。それは、今の僕みたいにパソコンと向かい合っていることにより生じるもの。
また、パソコンと言わずとも机に向かって勉強をしたりする人。疲れやストレスを表すもの。大人=ストレス。悲しい計算式だ。
しかし、最近ではスマホが生活の一部になっているので、「肩こり=大人」とは言い切れない。
スマホを触わることにより、緊張した姿勢からくる肩こりは老若男女問わず、お悩みの人は多いだろう。
十数年に渡って肩こりに悩まされた僕。
そこで肩こりを一発で治す方法を教えたい・・・
のですが、それはできない。
なぜなら、僕も知らないから。知らないものを教えることなどできないのだ。
皆さんが、肩こりに対して騙し騙しやっているように僕も騙し騙しでやっている。
でもがっかりしないで頂きたい。
肩こりを治す方法など知らないけれど僕もあなたど同じ肩こりクランケだ。
人はツライときに自分と同じような痛みを抱えた人がいれば共感できるのだ。
仲間が一人増えたみたいで嬉しいでしょう?
本当のことを言えば、悲しさを分け与えるなんて言葉はあまり好きではない。
しかし、しかしながら、時に傷の舐め合いなんてものに頼るのもありではないか。
整形外科の待合室などまさにそれである。
整形外科の待合室には爺さん婆さんがたくさんいる。
そこでは知らない爺さん、婆さん同士が各々の痛みの症状を伝え合っている。
人によっては膝が痛かったり、腰が悪かったり。
自分が持っている痛みを名刺交換のように打ち明けている。
別にこれは、僕がその人たちのことを小馬鹿にしているわけではない。
その中には本当に症状が悪くて痛い人もいると思う。
しかし、お互いの痛みの症状を話している人の表情からは、内容とは裏腹に悲壮感がないのだ。
「あそこが痛い」「ここが痛い」と言うのが挨拶代わりになっていて、病院自体が一つのコミュニティになっているのだ。
しまいには、「〇〇さん、最近顔見せんけど元気にしているかな?」と病院に来なくなったら、どこか具合が悪いのかなと心配しているのだ。これじゃなんのこっちゃか分からない。
でも、僕はこのコミュニティにこそ町医者の役割があるのだと思う。
見ず知らずの人が小さな共通点を通じて、会話が生まれる。
しかも、これが自慢話では話すきっかけ作りには不向きなのだ。
整形外科という身体の衰えからくる痛みは共感を生みやすく、誰もが通る道なのだ。
それ故、悲壮感がないのではないか。
だけれども、やはり身体は丈夫な方がいい。
僕は肩こりを瞬時に治す方法は分からないけれど、最近ではストレッチをするように心がけている。
風呂に入ったとき、浴槽で肩を揉んだり。風呂上がりには肩甲骨周りの筋肉を動かす体操をしたり。
少しでも良くなるように一日の疲労を労わりながらケアをしている。
そして、体だけではなく凝り固まった心のストレスを解消するのにもストレッチが大事だ。
それは人によって大好きな趣味かもしれないし、気の置けない友人と話す愚痴であるかもしれない。
願わくば、このどうしようもない散文を綴った「日常の中の日常」も一日の終わりにあなたの心の凝りをほぐす一翼を担えたら幸いである。
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