見出し画像

車について

車の免許を取ってもう10年以上になる。

最近では毎日のように車を乗っている。
にも関わらず無事故無違反でゴールド免許なのだ。これは誰かに褒めていただきたい。

まぁそれはさて置き、車を毎日乗っているからといって車が好きかと問われたらそれはハテナである。車が無いと生活できない環境であるから車を運転しているのだ。

男の人は車好きが多い。そんなイメージが僕にはある。それはどこの社会でも同じだ。学生の時からそうだ。
車の話ができない僕は度々話題に取り残されることがある。



中学になると車好きが現れた。小学校の頃から車に興味を示していた友達が頭文字Dやグランツーリスモの影響やらなんやらで、本格的な車好きへと変身したのだ。

僕はといえばちょっと好きかなというぐらいだった。歳の離れた兄貴が車好きだったため、家には頭文字Dやグランツーリスモがあった。でも僕は語れるほど詳しくなかった。にわかである。


車にいまいちハマりきれなかった要因として、僕は車種や型式を覚えれないというところにある。見た目でどこが違うかの判断が疎いのだ。それは車だけでなくギターもそうだ。なんとなくでしか分からない。友達に何が違うのかを指摘されて、あぁそういえばとなるのだ。音楽は好きだ。バンドではギターボーカルだったし、作曲もしていた。なのにギターの型とかにはあまり興味がないのだ。弾きやすさや音とかに興味はあってもこれは何年製のとか何とかモデルとかてんで 興味が湧かない。



車とギター。


僕はどちらも所有している。
考えてみるとこの2つに思うところはどちらも似ているかもしれない。


それは目的である。


車好きが車を乗る目的。
それは車を運転することが楽しい。車を物質してみたときにカッコいいという点である。


僕が車を運転する目的。
それは僕を目的地まで運ぶためである。つまり交通の手段の一つとして使用する。


そして、ギター好きがギターに対する思い。
それはギターを弾くのが楽しい。一人で弾くのもバンドで弾くのも楽しい。
ギターそのものだけで成立している。



僕がギターに対する思い。
作曲をする時に必要な手段としてのギター。
ギターボーカルとして歌うお供としてのギター。


同じようにギターを所有していても、目的が違うからそれに対する思いは違う。


どちらが良い悪いではない。


自分の思考を深くまで掘り下げれば、自分でも見えていなかった行動に対する意図が見えてくる。
どこに優先順位を持っていくか。どこに金をかけるか。それが分かれば迷うことはなく、明確になっていく。


僕は車を手段として扱っているから車の内装や外装には一切金をかけない。なんたって乗れたらいいからだ。


僕はビールが好きだ。


アルコールが入ってたらなんでもいいというワケではない。


なぜならビールを飲む目的は「酔えたら良い」ではないのだ。
「美味しければ良い」なのだ。だから必然と好みのビールに手を伸ばす。



暇つぶしにエッセイを読んでいるあなたも、どうせ読むなら「面白いエッセイを読んで時間を潰したい」と思っているだろう。

「日常の中の日常」というエッセイ。これがあなたがエッセイを読む目的を満たしていたら幸いである。

以上、車について日常を考えてみた。


次回は「眠りについて」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?