雨について
「日常の中の日常」を書く時、今日はどのテーマのことに触れようかと考える。
どのテーマが今の自分の頭の中と心の中を表すのに適切か。そして一つの作品としてどのテーマが普遍的であるかを考える。時代背景による流行りのことはできるだけ避けたい。その流行やモノが10年以上に渡り定着しているならそれはテーマとして一次関門を突破したと思っている。
こんな風に「あれを書こうか、これを書こうか」というのが頭の中で駆け巡っている。
小学校、中学校の時月曜日は全校朝礼があった。その時の校長先生の話はなぜあれだけ長いのだろうか。
そして、始まりの枕詞はいつもこうだった。
「今朝、学校に来るとき、今日は何を話そうかなと考えて来ました。」
いつも決まってお馴染みの文句を言ってグダグダと話す。
僕もエッセイを書くようになって、そんな気持ちが少しわかるようになった。僕もその校長と同様、グダグダと長い話だなと思われていないだろうか。それが少し気がかりだ。
そんなこんなでテーマのストックが頭の中にあって、今日は「あれについて書こう!」と思ったのだが、外はやたらに雨が強いので今日は「雨について」書こうと思う。
雨について。
雨とはどんなイメージを持つだろうか。やはり陰鬱なネガティブなイメージだろうか。
僕はと言えば時と場合にもよるが、雨は割と好きな方だ。
雨音は落ち着く。本を読む時、コーヒーを飲む時。雨はそっと包み込む。
傷を癒してくれるような、急いた気持ちをなだめてくれるようなそんな雨音が好きだ。
それでも、どうしようもない雨もある。
人間とはひどく勝手なもので、自分の心情に合わせて天気が左右しているような感覚になる。
そんなどうしようもない雨があった。
高校の時に初めて付き合った彼女。
僕は高校を卒業して彼女とは遠距離になった。
二ヶ月後彼女とは別れた。
よくある話だ。
遠距離になり互いの生活が始まる。それが心の距離になった。
僕はやり直したくて地元を帰った時に会おうと言った。
もう付き合えないだろうなとは思ったけど、それでもそれを認めるわけには行かなかった。
取り立ての免許。春の海に行った。海はシケが強く荒れていた。今にも降り出しそうな空だった。
車の中、話し合いをした。
一年数ヶ月という交際期間があったから、まだ少し情があると彼女は言った。
僕は今の気持ちを伝えて、食い下がった。
しかし、やはり彼女はもう付き合えないと言った。
別れた時よりも別れる前の方がツラかった。そう言われた。
僕は、いつも僕の気持ちを押し付けていたことに気づいた。
これ以上は何も言えなかった。
彼女を家まで送り届けた。
初めて人と付き合って、初めて人と別れた。
こんなにもツライことだとは思わなかった。
自宅まで1時間半にも及ぶ車の中、彼女との色々な記憶が蘇った。
初めて見た花火、「彼女のため」と言って自分のエゴを押し付けていたこと、誰にも見つからないように忍び込んだあの日のこと。そんなことを考えていたら雨粒がフロントガラスに当たり、瞬く間に土砂降りとなった。僕の心情と重なり、僕は一層泣いた。前が見えなくなった。
このままいっそのことハンドルを切れば彼女は僕のことをずっと覚えていてくれるだろうか。そんなことが頭をよぎったが、それだけはしないでおこうと思った。僕のことを忘れてもらえるようにそれだけはしないでおこうと思った。これが僕の彼女に対する最後の優しさであり、ただの意地だった。
あの時、雨が降ってよかった。
今、降っているこの雨もどこかで侘しさと寂寥に涙を流している人のためのものだろうか。
いや、そんなことはない。
雨はただ降るだけだ。そこに侘しさはない。
ただ、人がそこに想いを馳せただけにすぎない。
雨が降る。僕はそこにいつかの自分を見た。
次回は「可能性と期待値について」
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