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嘘について

嘘についてのテーマを書こうと考えた時、一つのエピソードを思い出した。
嘘とは少し違う思い出話かもしれないが、いかんせん書き始めた以上筆を止めるわけにはいかない。

それ故、読者には読み始めた以上最後までお付き合い頂きたい。
半ば暴力的な誘い文句だがこんな枕もたまにはいいではないか。

小学校の頃の話。

僕の小学校は山間にある小さな学校だった。眼前には海が広がり、長い坂を登り学校へと向かう。ランドセルには熊よけの鈴をつけての集団登校。
同級生はたった六人。もちろん卒業するまでクラス替えなどない。
全校児童は十人あまり。教師の人数とほぼ同じだった。

「THE 田舎」である。

それでも楽しかったと言える。

僕の知っている小学校の記憶はそれ以上でもそれ以下でもないし、比べようがないのだがその環境下だからこそ経験できたことは少なくなかったと思う。
そしてその環境下だからこそ考えることも多かった。

四月になり新任の先生が赴任する度、彼らは僕たちにこう言っていた。

「ここは自然が豊かでみんなは非常に良い環境に恵まれている」

確かにそうかもしれないが、前述した通り僕らの環境はそれ以上でもそれ以下でもなかった。
だから、その先生たちの発言は田舎に対してのある種のフォローに聞こえて素直に受け取れなかった。

町内にはいくつかの小学校があり、過疎化が進む集落の小学校は僕たちの学校を含め四校あった。
その中でも僕たちは下から二番目に児童の少ない学校だった。

年に数回、その四校だけの交流行事があった。それは時として球技大会であったり、遠足であったりした。

その度に先生方はこうも言っていた。

「大きい学校のみんなに負けないように」

大きい学校。小さい学校。先生方としての見栄があったのだろう。
都会、田舎。優性、劣性。世間に恥じないように。

良いか悪いかは分からないが、僕はそこから多少なりとも「常識」という「枠」を持ち合わせたと思う。

その枠が窮屈に感じることは言うまでもないが。

僕は自分の環境は好きではあったけど、それでもテレビで見る小学生との環境は大いに離れていたし、週に一度のスポ少で他校の友達と喋ったりすると引け目を感じた。
(僕の小学校は人数が少なくてスポ少がなかった。そのため他校のスポ少に参加することが許されていたのだ)

しかし、年齢を重ねるうちにそれは自分の小学校に対する劣等感に変わった。

僕は週に一度、他校のスポ少に参加することにより、なんだか都会の人間になったような気がして優越感を感じていた。
自分のステータスが上がったような気がしていたのだ。嫌なやつだ。

そんな僕の小学校時代。

やっと本題に入るのだが、そんな時のあるエピソード。

それは陸上競技大会前日のこと。

この陸上競技大会は郡の小学校全体のイベントで、大小合わせたおよそ十校の小学校が集結する。

当然、先生方は「大きい学校の子には負けたらあかんで。」と張り切っていた。

この言葉の意は競技だけでなく、身だしなみ、礼儀を含めということである。

僕はどんな心境だったのだろう。

張り切っていたと言えば張り切っていたと思うし、周りの学校の雰囲気に飲まれないようにとか、田舎っぽさを出さないようにと感じていたと思う。

そして自分の小学校を少し恥じていた。

陸上競技大会前日の日。掃除が終わると教室に集合することになっていた。

僕は同級生の物静かなヨシ君と教室に二人だった。

教室にはまだ誰もいなくて教壇の上には何やら大きな箱があった。

箱を覗くと明日、入場の際に使うであろう校旗が入っていた。
僕は「うちの学校にもこんなんがあったんや」などと小馬鹿にしながらその校旗の裏地を見たりして、いつしかクシャクシャにしていた。

しばらくするとこれまた同級生のショウが教室に入ってきた。
このショウって友達はいつも落ち着きがなく、事あるごとに先生に叱られていた。

校旗を見るのに飽きた僕は三人になり雑談をしていた。

するとそこに担任の先生が入ってきた。

先生は教室に入るやいなや、クシャクシャになった校旗を見つけると凄い剣幕でショウを叱った。

その校旗は言わずもがな、担任の先生が明日の競技大会のためにと綺麗に畳んでいた代物だった。

そして、三人の中で瞬時に犯人探しをした結果、普段の行いの悪いショウが叱られた。

ショウは当然の如く「オレじゃない」と弁明したが、取り付く島などなかった。

僕はあまりの先生の怒りに名乗り挙げることができなかった。

次第に他の児童も集まり、先生の怒りは収まったのだが、ショウには悪いことをしたなと今でも思う。

あれから数十年が経った。

その間、僕はこの四人の登場人物に何度もなった。

物事の一端を見て、決めつけて責め立てた先生役。

訳が分からないまま非難されるショウ役。

一部始終を見ていたにも関わらず、その状況を傍観するヨシ君役。

そして自分のしたことを認めることができず人のせいにする僕役。

僕は地元を離れた。

担任の先生はもちろんのこと、同級生のヨシ君やショウにはもう何年も会っていない。

こんなことを思い出すのは懐かしさではなく、故郷への愛でもない。

ただ単に、嘘という思い出を手繰り寄せたらこんな記憶にたどり着いた。


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