死んだら人はどこへ行くの

人は死んだらどこに行くんだろう。

先日、祖父が97歳で永眠しました。
葬儀は真言宗のもので、お坊さんが長い長いお経を読んでくださいました。
私はお経の中身の意味はわからないながらも、「きっとお経の一つ一つに大事な意味があって、おじいちゃんが安らかに眠れるようにとたくさん願ってくださっているんだろうな」と考えながら聞いていました。

式場には美しく象られた船のような造形が正面にあって、その中心に笑顔の祖父の写真。サイドにはお花や蓮の花を模したモニュメントのようなものがあり、そしてお線香と、焼香の台。

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私の弟のお葬式はキリスト教のものでした。
長寿を全うした祖父とは違い、彼は20歳そこそこでの自殺でした。
彼がとても熱心なキリスト教徒だったというわけではなかったのですが、母の意向でキリスト教の葬儀に決まりました。私は生まれて初めて、仏教以外のお葬式に参列しました。

キリスト教のお葬式ではお焼香はありません。かわりにお花を時計回りに回して供えます。
そして讃美歌を歌い、牧師の説教を聞き、喪主の挨拶があり、と全体の内容はそれくらいでした。かなりシンプルな式だと感じました。

余談になりますが、この式でよかったのは、葬儀場のスタッフさんの対応でした。
私が弟に宛てた手紙を棺の中に入れるものの中に置いていたのですが、「すみません、勝手に読んでしまったのですが、とても良い内容だと思いますので、式で読んでくださいませんか」と提案してくださったこと。
そして、彼が自死した理由が性同一性障害に耐え切れず、ということだったのですが、彼にお化粧をさせてくれました。
プロのメイクさんも来てくださって、私とどんなお化粧がいいかを相談してくださり、とてもあたたかい式になったことを覚えています。

仏教での死。キリスト教での死。
宗教や考え方、価値観によって「死」という概念は違うのかもしれません。
無になる。輪廻転生をする。天国に行く。四十九日がある…。

共通していることは、もう二度とこの世では会えないということです。
ですが天国があるなら、自分が死んだ時にまた会えるとも考えられます。輪廻転生があるなら、次の人生が待っているかもしれません。死んですべてが無になるのなら、魂も残らないのかもしれません。

弟が亡くなって6年ほどが経ち、次に祖父が亡くなりました。
人は死んでいきます。今生きている人も、ゆるやかに、でも確かに死へと向かっているはずです。

人は、死んだらどこへ向かうんだろう。
たとえば自殺だったり病気や事故だったり、死に方によって行き先が違ったりするのだろうか。
私は、弟には天国のようなおだやかで幸せな場所にいてほしいです。この世で故人を思うたびに天国でお花が咲く、という話も好きです。
そして人間だけでなく、一緒に暮らした愛犬、愛猫たちもどこへ行ったんだろう。同じように天国にいてくれたりしないだろうか。もう一度会えたりしないだろうか。

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生きている限り、死んだあとのことは誰にもわかりません。

「死ぬ」とはどういうことなんだろう。
弟の葬儀を終えても、祖父の葬儀を終えても、私にはまだこの答えがわかりません。

自分が死ぬ時まで、死については考えていきたいです。

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