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メキシコ生活記録⑭ ー海外で落ち込んだので自己分析した話(帯同家族のメンタルヘルスについても)part.2

さて、いよいよ自己分析のpart.2です!
前回のpart.1では「何があったのか」という事実確認が主でした。
その上で、落ち込んだとき、静かにかつ安全に、底まで落ちる落ち方をご紹介しました。
なので、今回のpart.2は、いよいよ「浮上=自己分析」のパートに入ります!

それでは、part.1の最後に書いた手順を目安に自己分析していきましょう。
去年の10月、私を落ち込ませたのは何だったのか!?
謎解き開始!

手順の目安
【1】私が凹んだ原因は何か?(事実べースで考える)
  ➡ 具体的な事態の確認 ➡ そのどの要素が私を凹ませたのか
【2】その要素によって私が凹んだのはなぜか?
  ➡ 自分の思考のクセを確認 ➡ なぜその要因が私に響いたのか?
  ➡ 無自覚にデフォルト化している前提思考を掘り起こす
【3】同じようなことで沈まないためのマインドセットを新しく作る

【1】私が凹んだ原因は何か?(事実べースで考える)
 ● 具体的な事態の確認 ●
これはつまり、事実だけを取り出すということで、事態を素材に分解する作業ってこと。
まずは、ここから!この作業が基本のキ。
この分解作業において大事なのは、
・事実と解釈を分けて、事実のみ取り出す(解釈や価値、評価は取り除く)
・自分の感情や思い、判断なども事実としてとらえる(他者の感情は除く)
ということだ。
例え話を使ってやってみよう。
「遠足に行って楽しかった」「▲▲さんを叩いた〇〇さんは悪い」などは、一見すると事実を述べているようにも思えるが、実は色々なものが混じり合っている良い例だろう。
これを分けるなら、
・「遠足に行って楽しかった」
 ➡「私は遠足に行った」「私は遠足を楽しいと感じた」
・「▲▲さんを叩いた〇〇さんは悪い」
 ➡「〇〇さんは▲▲さんを叩いた」「その行為について、私は〇〇さんを悪いと判断している/そのせいで私は、〇〇さんを悪い人だと思っている」
という感じ。
ここで注意したいのは、「自分の」感情や判断のみを書くということ。なぜなら、他者の思いや感情は私の想像にしかすぎず、それがどんなに確かだとしても事実にはならないから。だから「叩かれた▲▲さんはこわくて泣いていた」ではなく「叩かれた▲▲さんは泣いていた」という部分のみ取り出す感じ。付け加えるなら、「叩かれて泣いていた▲▲さんを見て、こわがっていると私は思った」かな。
こんなことするのに意味あるの?って思うかもしれないが、意味はある。
ふだん口をついて出てくる言葉は、たくさんの素材が入り混じった、言わばカレーや肉じゃがのような「料理」みたいなものだ。カレーが何か知りたければ、素材を見極めるでしょ?つまり、そのままでは分析の素材にならない。
では、part.r 1で書いた「何があったのか」という事態の内容を、事実ベースでまとめてみよう。

①体調不良と複数タスクが重なった
②海外生活にまだ慣れていなかった
③英語でうまく日本文化が紹介できなかった
④味噌を忘れた
➡結果、「生きててすみません」モードまで落ちた

と、こんな感じかな。

● そのどの要素が私を凹ませたのか ●
次のステップは、素材の仕分け作業。つまり、解決のカギになりそうな素材の目星をつける。これは、自分でどうにかできそうな部分を探す作業でもある。
①は、まぁ仕方がない。こればっかりは、私にはどうすることもできないので、①について長々考えるのは時間の無駄だ。私はマルチタスクが苦手で、すごいストレスになるということは、すでに把握済みだしね(タスクが3つ以上になると、脳内では「いっぱい」と認識されて動けなくなるので書き出すようにしている)。
となると、やっぱり問題は②③④だよな。
と、こんな感じで当たりをつけてすすむ。

【2】その要素によって私が凹んだのはなぜか?
このステップでは、その素材の何がそんなに私を落ち込ませたのか、という素材の要素を割り出していこう。
そのためには、外的な側面(私の外部で起きた部分)と内的な側面(私の内面的な/精神的な部分)を分けて考えた方がいい。
(※ 外的/内的という言葉にピンとこなければ、客観的/主観的と考えてもらっても大丈夫!)
なぜなら、「落ち込む」という事態は、まずは外的な「事実」があり、それを受ける私の内的な状態という2つの要素が互いに呼応し合うことによって、成立しているからだ。
だって、「英語でうまく日本文化が紹介できない(←外的事実)」なんて、今回が初めてじゃない。むしろ、こっちにきてからずっとだ。でも、そんな当たり前のことでは落ち込まないときの方が多い。にもかかわず、今回はこんなに凹んだわけだ。だから、その理由を探るためには、その外的な事実を受け取った私の内的な部分のことも考える必要がある。これが、私自身の「無自覚にデフォルト化している前提思考(思考の枠組み)」であり、私の「思考のクセ」なのだ。流行り言葉で言うなら「マインドセット」。

それでは、私のマインドセットに注目しながら、
②海外生活にまだ慣れていなかった
③英語でうまく日本文化が紹介できなかった
④味噌を忘れた
ということに、なぜ私があんなに落ち込んだのかを考えてみたい。
この一見するとバラバラな要素には、実は共通していることがある。
それは「私にはできる/できていると思っていたこと」だ。
要するに、私の自己見積もりが現実と違っていたってわけ。
②海外生活にまだ慣れていなかった
 ➡こっちに来てから3か月経つし、そろそろ慣れているはずだ
③英語でうまく日本文化が紹介できなかった
 ➡相手が小学生なので、うまくできるはずだ
④味噌を忘れた
 ➡大事なものは忘れないし、もし忘れても何とかできるはずだ
っていう感じ。で、この見積もりがことごとく外れたのだ。
でも、待って。私はここまで自分を高評価するタイプではない。なんでもできると思っていたのに案外何もできない…っていうことで落ち込んでいたのはとうの昔、若かりし頃。30代後半になっても指導教官に鬼詰めされながら論文を書いていた時期を経た今の私は、「自分ができない」ということ自体にはかなり耐性がある。
では、何がそんなに私を落ち込ませたのか…。
私が行きついたのは、3つに共通する「ねばならない」感だ。
つまり、こう。
②海外生活にまだ慣れていなかった
 ➡こっちに来てから3か月経つし、そろそろ慣れていなければならない
③英語でうまく日本文化が紹介できなかった
 ➡相手が小学生なので、うまくできなければならない
④味噌を忘れた
 ➡大事なものは忘れなていけないし、もし忘れても何とかしなければならない
私はこれによく苦しめられてきた。近い所で言えば、1号を出産した後の「いいお母さんにならなければいけない」もそうだった。私はうっかりしていると、自分で勝手に作り出した「ねばならない」で、自分を苦しめてしまうクセがあるのだ。今回のことで思い出した。
では、今回の様々な「ねばならない」を生み出した元締め、大ボスはどんな「ねばならない」なのか。これこそが、マインドセットの本丸だ。

海外赴任について行くと言うと、多くの人が「英語が話せるようになるね」「スペイン語もできるようになるなんてすごい」とか「将来は海外の企業で働くかもしれないね!」とか、様々な明るいビジョンを話してくれた。それ自体はふつうのことで、1mmも悪くない。私だってきっと同じようなことを言うし、実際私も同じことを思っている。「これはチャンスだ」って。くわえて、「チャンスにしたい」という願望もある。
でも、実際にこっちで暮らしてみると、海外の空気感にはなかなか慣れない。全然語学は上達しないし、日本の勉強もどんどん遅れていっている。日々の生活を整えるのに精いっぱいで海外ならではの貴重な体験なんて全然用意してやれない。外出自体が軽いストレスだったから、土日くらいはずっと家にいたい。海外にいるのに、家でアマプラばっかり見ている。これじゃ、日本と変わらない。いや、日本以下だ…。
part.1でも書いた、こういう「小さい無力感の積み重ね」が、私の場合、「チャンスだ」という単なる事実を「チャンスを生かさなければならない」という「ねばならない」にすり替えてしまったようだ。そして、「そうありたい」という願望が、そのガソリンになってしまった。その結果、「何かしなきゃ!なのに、何もできていない!」と常に空回っていたわけ。
つまり、マインドセットの本丸は、「海外に来たというこのチャンスを生かして何かを成さなければならない」だったのだ。しかも、これが思考の枠組みとして働いていることに、自分で気が付いていなかった。だからこそ、これが根源となって、様々な表立った「ねばならない」を生み出しているのを止められずに、振り回されていたというわけ。
現実に見合っていなかったのは、自己評価ではなく、この「ねばならない」感が生み出す焦りや無力感だったのだ。「チャンスを生かして何かを成さなければならない=チャンスを無駄にして、何も成し遂げられなかったらどうしよう」という感じ。
だから、「海外生活に馴染めていない」とか「英語がうまく話せない」とか、そんな分かり切っているような当たり前のことが、大ダメージとなってしまっていたわけだ。
こうして、「去年の10月、私を落ち込ませたのは何だったのか!?」という謎解きの答えは、「海外に来たというこのチャンスを生かして何かを成さなければならない」という、私マインドセットだった、ということが突き止められた。

【3】同じようなことで沈まないためのマインドセットを新しく作る
やっとここまで来た。皆さま、お付き合いいただきありがとうございます。
【1】と【2】を経て、「海外に来たというこのチャンスを生かして何かを成さなければならない」という、私を落ち込ませた諸悪の根源が突き止められた。現状と全く合っていないこのマインドセットのせいで、私は自分で自分を追い詰めていたわけです。

では、どうするか。方法は2つ。
(A) マインドセットに合わせて、現状の方を変える
(B) 現状に合わせて、マインドセットの方を変える
最近よくみかける自己啓発系の話は(A)ですよね。「チャンスを生かさなきゃ」っていうマインドは、現状を変えて成長しようとするポジティブなものとも言えるので。だから、(A)が合う人はそうする方がいいと思う。
ただ、私はまさにこのマインドに苦しめられていた。だから、私が今回選択したのは、(B)です。つまり、マインドセットの方を変える。

では、どう変えればいいのか?
そもそも、私が「海外に来たというこのチャンスを生かして何かを成さなければならない」というマインドをこじらすに至ったのには、「後悔したくない」っていう思いがあったから。何も成し遂げずに帰ったら「4年もいたのに何やってたの!?」って言われるだろうなっていう予感があった。誰にって…?本帰国後の自分自身に。だから、もしそういうことを誰かにほんの少しでもにおわされたら、すごい落ち込むだろうなって思ってた。
だから、ここを変える。
「海外に来たというこのチャンスを生かして何かを成さなければならない」
➡「4年も海外に住んで何も成し遂げられなかったとしても、それでいい
このマインドだって、持ってはいたのよ。でも、すっかり奥に引っ込んでしまっていた。それをもう一度引っ張り出して、洗濯してアイロンをかけた。外国語習得が中途半端に終わっても、海外ならではの経験ができなくても、家族みんなが心身ともに健康な状態で帰国できたら満点!と、ちゃんと思い直す。崩れたフォームを立て直す。この基本フォームを崩していたから、軽いパンチでも大怪我していたわけだ。だから、「自力で何とか出来ることと出来ないことを区別して、出来ることにだけ注力する」とか「どうすることも出来ないことは考えない」とか、ふだんの私がふつうに実行していたことまでもうまくできなくなっていた。一番大事なことを置く場所には、ちゃんと一番大事なことを置かなければならない。今回のことで痛感した。
向上心をもつのはいいことだけど、それで自分を壊してしまっては本末転倒もいいところだ。

生きることを手段にするな
私が講義で使っていた『子どもの難問 哲学者の先生教えてください!』(野矢茂樹 編著、中央公論新社、2013年刊行)という本がある。これは、いかにも子どもが無邪気に尋ねそうな素朴な質問に、第一線で活躍している日本の哲学者たちが答えていくというスタイルの本だ。
この本に「なぜ生きているんだろう?」という章がある。この問いには、神崎繁氏と入不二基義氏の2人が答えているのだが、特に入不二さんの答えが印象に残っている。
入不二さんは、「ある行為の目的というのは、ふつうは、その行為をすることとは別の何かです」(76頁)と言う。例えば、「学校に行くこと」の目的は「学校へ行くこと」ではないですよね?その目的は、「学校へ行くこと」とは別の「一人前の大人になる」とか「知識を得る」とかです。だとすると、「なぜ生きてるんだろう?」という問いを「生きる目的って何だろう?」っていう問いと同じように捉えるのが、おかしいことに気が付きますか?だって、「生きていること」の目的が「生きていること」とは別にあることになってしまうから。「生きていること」は、それとは別の目的を達成するための手段になってしまうから。
確かに、「命をかける」なんて場面もあるかもしれない。でもそれが比喩表現ではなく、実際に差し迫ってくるような場面は、一生に一度あるかないかだろう。だから、それが続くような「命をかけ続ける」なんて場面は、どこかがおかしい。例えば、過労死とかね。だから、入不二さんは「生きていること」をその他の様々な行為とは区別して「「生きていること」は、別の何らかの目的や理由のためにあるのではなくて、それ自身の「おいしさ」を、生きていることによって開発し味わうためにあるのだと思います」(78頁)と言う。
話が長くなってしまったが、何が言いたかったのかというと、私はまさに「海外で暮らすこと」を手段にしまっていたということなのだ。
つまり、こう。
★目的:外国語習得、海外ならではの経験を積んでレベルアップする
  —— 手段:海外で暮らす
だから、ダラダラ過ごした土日を「無駄にした」と思って罪悪感を抱いたり、遅々としてすすまない外国語習得に焦ったりしていたのだ。私は、「海外で暮らすこと」そのものを味わえていなかったわけ。費用対効果ばかりを気にしていた私には「海外で暮らすこと」そのものを、今この時を「味わう」という姿勢が欠けていた。このままじゃ、それこそ本帰国後に後悔してしまうところだった。入不二先生、ありがとう。

最後に:帯同家族のメンタルヘルスについて
今回は、私のメンタルを分析してきたわけだが、これはもしかすると他の帯同家族の方々にも(もちろん赴任者本人も含め)当てはまるかもしれないと思う。普段とは違う特殊な状況になると、それをなんとか利用しないともったいない!と思う気持ちは誰にでも沸き起こるだろう。もちろん、これがモチベーションアップにつながっていく人はいいのだが、私みたいに自分の首を絞めてしまう人もいるということだ。
例えば、コロナ禍のステイホーム期間を利用して資格を取ったとかという人の話が流れると、本気でステイホームそのものを味わっていた人は「え、マジ?」と焦ったり、「もったいないことをしたかも…」と後悔するかもしれない。くわえて、周囲からは「チャンスを生かせなかった人」として認識されてしまうかもしれない。こういうこと、気にならない人もいるだろうけど、私はけっこう気に病んでしまう。旅行先では、「せっかく来たんだから!」と観光スポットを詰め込むタイプだから(笑)。
で、今回も、まさにこの「もったいない」「せっかく」マインドが爆発して、「ねばならない」怪物を生み出し、それが大暴れしてしまったというわけ。
私の場合は、怪物ネバナラナイだったけど、他の人の場合ならもっと違う怪物かもしれない(怪物フツウソウデショ、怪物ワタシバッカリ、怪物イイオカアサン、などなど)。それに、もしかしたら私も今後また別種の怪物を生み出してしまうかもしれない。
でも、海外赴任というシチュエーションは、こうした怪物を生み出しやすいのではないかと思う。だから、海外という特殊で、孤独になりやすい状況にある人で、最近苦しいなと感じるなら、自分や周囲を責める前に、自分の中のマインドセット(暗黙の前提、思考の枠組み、思い込み、クセ)が、現状とミスマッチを起こしている可能性を考えてみて!その上で、是非、マインドセットを「手ぶらで帰国したっていいじゃないか」「何者にもなれなくても健康なら100点!」というように、変えてしまうことをオススメします。何者にもなれなくても、いいじゃないか。
そうはいっても、仕事や育児は待ってくれない!頑張るべきでしょ!って思う人もいると思う。確かにその通り。全く同意。つまり、私が言いたいのは、「頑張らなくていい」とか「ダメな自分を受け入れて」とかいうことではない。「安心して頑張るために、マインドセットを作り直す」ことが、なによりもまず先決だと言いたいのだ。自己否定を繰り返して空回りしてるようなときに、自分の為すべきことをちゃんと見据えて努力する、なんて芸当は絶対にできない。それに、何をするにしたって「生きていればこそ」でしょ?未来の自分より「今の自分」を大事にしたってバチは当たらないよ。
だからこそ、定期的に、自己分析→マインドセットの見直しを行っていくことが、メンタルヘルスを健やかに保つためには必須だと思う。すべては、安心して頑張れる心の環境づくりのために!
(余談だけど、こういう定期的な自己分析のお手伝いを仕事にできればいいなと思っている。でも、やり方が分からない…)

とはいえ、こういう心の怪物は、海外だから生まれたわけではないはずだ。日本にいたときだって、「このままじゃ手遅れになる?」「母親失格だわ…」とか「もう40歳になるのに私って…」とかいろいろな怪物チャンスはあった。海外というシチュエーションが怪物の規模を倍化させただけに過ぎない。
だから、皆さん、どうか自分の中に怪物の息遣いを感じたら…
「Don't use! Taste!(使うな!味わえ!)」という標語を思い出して!
みんなで一緒に怪物を乗りこなそう!
ダラダラとソファでスマホをいじっている時間を味わいつくそうね!
表紙にした貝殻のように、ただここに在るということを味わうために、自分で自分を許していこう。
まずは、ここから。



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