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多大な影響を受けた3人の写真家:マリオ・ジャコメッリ編

個人的に多大な影響を受けた写真家3人をゆるく紹介をしていきたいと思います。
今回は3人目マリオ・ジャコメッリ編です。

1人目のオリビエーロ・トスカーニについて。

2人目のアンリ・カルティエ・ブレッソンについて。

イタリア人写真家。
彼の写真を見てどう感じるのか。生を感じるのか、死を感じるのか、はたまた両方か。それ以外か。
ジャコメッリの写真を見た時、私はなぜか、表現するという事柄において、言葉だけでは言い表せないことが当然あり、それを写真が補うことができる。そしてそれは逆にも捉えられる。ということを意識させられました。
ジャコメッリは幼い頃から、母の働くホスピスに出入りしていたとのことで、数々言及はされているが、生と死が日常にある生活を送っていたのだろうと思う。
私たちの今の生活はどうだろうか。
少なくとも日本で、生と死を意識しながら生きることは困難な状況にあるのではないかと思う。
生は、死を感じた時に初めて意識する。そして現在ではその死を感じる機会が極端に減っているのではないこと思う。

小さい頃、両親に連れられ、あまり知らない近所のおばさんのお葬式に出たことがある。
曖昧な記憶ながらも、その知らないおばさんが死んだことに対し、多くの人が悲しんで、泣いている人がいたことを今でも覚えている。
あの時の感覚は今の死生観を形成する大きな体験だった。
「私が大事に思っていない他人であったとしても、その人を大事に思う誰かが存在する。」
私が家族を大切に思うように、その他人は誰かの家族である。
そんなことを考えるようになった。
今では、近所のおばちゃん、おっちゃんが亡くなってもほとんどの場合葬儀には出席しないのではないだろうか。
死生観の形成という観点において、葬式は大々的に開催するべきだ。というのが個人的な意見でもある。

話は少し逸れてしまったけれど、彼の写真には詩的に、何かを訴えかけられているように感じさせられます。
彼の写真が、表現方法においての限界がないことを表明してくれているように感じ、私自身が勝手に儲けていた、固定概念を取り外してくれたように思います。
写真が美しい詩のように、情緒ゆたかな情緒あふれる楽曲のように、写真もまた人々に豊かな感情を湧き立たせるのだと。
彼の写真を見て思いました。

彼の文献は少ないなって感じです。
日本での展覧会も2008年に東京都写真美術館で行われて最後、特段次の話が出てこないまま。
また日本で大規模な展覧会をやって欲しいですね。

知名度とは比例せず、そんなにたくさんの文献やログがネット上にはないんですよね。
蔦屋書店など大型書店などに寄った際に、写真集探して見て見てください。

いくつかのジャコメッリに関しての記事と書籍。

マリオ・ジャコメッリ「モノクロームで生と死に向かい合った写真の詩人」 https://imaonline.jp/articles/archive/20190403mario-gIacomelli/ @imaonline_jpより

辺見庸さんの著書。
まだ読んだ事ないので読んでみよう今度。
私とマリオ・ジャコメッリ: 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて https://amzn.asia/d/d3P6ORD #Amazon @Amazonより

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