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偶然

私が洋楽を、主に英語の歌を聴き始めたのは高校生の頃でそれまではずっと流行りの邦楽を聞いていたんだけど、最近はあまり新作の邦楽を聴くことがなくなった。


何と説明すれば良いのか私もわからないんだけど、あまり良質だと思う歌がない。
と思ってからは新しくリリースされた日本の歌をどんどん聞かなくなり、当然それらの中には良い音楽もあるのだろうけれど、一度そう思ってしまえばすでに認知されている良い作品にのみ意識がいってしまい、新しいものにはあまり耳が行かないようになってしまう。
これを視野が狭まっていてい、良質なものに触れる機会を損失しているととるのか、ほとんどの場合良質だと感じるものがないのだからそもそもそれに時間を割く必要がなくその考え方が概ね正しいと捉えるのかは人によって違うんだろうけど、私は世の中に溢れるぐらいの音楽があるのだから、そもそも下手に新しいものを作る必要があるのかと思っていて。どちらかというと歌にしても映画にしても昔のものに目が行きがちだ。


特に私は日本のアイドル文化が好きではない。そこそこ歌唱力があり、ダンスを踊れる美男美女の曲を良いものだと認識したことはほとんどない。
こればかりは個人的な感覚であるから別にそれに対して好意を抱く人を否定するつもりも、私の感想に対しての否定的な意見もほとんどの場合は受け付けないのだけど、私がそれらに対して、特別な魅力を感じることもなくむしろ表面上のとりあえず体裁上よいとされる空気を感じ、それに嫌気すらさすこともある。

アイドルとは偶像を意味する言葉で、私はそれらを評価する人は全体的に見て平均よりは高い位置いる人たちのことをもう少しで自分でも手の届く存在として崇める存在として成り立っているものだと認識している。
誰にも真似できないような特異な才能があるわけでもないんだけれど、一般の人よりは全体のバランスより優れている。そのような人物たちをアイドルとし、見ている側からすれば遠い存在なのだけれど、何となく能力的に親近感があり、かつ全体の平均値よりは多くの部分で上であるから何となく応援しやすい。
辞書に書かれている偶像の意味ともまた違う意味でだと理解している。

私はそれらに関して何かしらの価値を見出せない側の人間であって、「大衆受けする」という言葉の仲間には入っていないのではないかと思っている。

基本的に私が比べることのできる範囲がせいぜい英語で歌を歌っている人達と限定的なのでそのほかの国で日本の「アイドル文化」みたいなものがあり、私が感じる表面上の価値が市場で成立しているのかはわからないところであるんだけれど、少なくとも英語が第一公用語として用いられている国々でそのような表面上の価値が認められることはないのではないかと思う。

そんな中でたまたま耳にした竹原ピストルズの「Fourever Young」は私にっては衝撃があった。こんな良い曲があるんだと。全く知らない歌手の全く知らない曲をこれを書く一週間前に聞いて、こんなに良い曲があるんだと。

調べてみたら2017年の曲で特別新しいものではないみたいで、結構昔から有名な歌手なのだそうだけど邦楽を普段聞かない私にとってはそれは新しいという部類に入る曲でやっぱり良いも悪いも色々な音楽を聴くのは大切なことだなと。

グダグダ書いてしまったけれど、何が言いたいかっていうと物事の価値を完全に自分の中で決めつけてしまうと、それに当てはまらないものに出会う機会がなくなってしまう。ということで、やっぱりそういうものに対してもバランス良く取り入れていかないとなと。
何より、それがどんなものであれ偶然自分が良いと思えるものを見つけると結構気持ち良かったりするわけだし。
これからは無視しないように気をつけよう。





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