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ポケモンでいうところの「混乱状態」

現代人の多くが、情報の多さによって、ポケモンでいうところの「混乱状態」に陥っているんじゃ無いかと思ってる。
正常な行動ができることもある、がたまに自分や味方を傷つけてしまったり、当人にも訳のわからない行動をとってしまう。
この大きな原因が「取り込む情報の量に対して、処理能力が追いついていない。」というものでは無いかというただの推測を適当に書いていく。

Twitterやら、TikTok、YouTubeの見過ぎどころの話ではなく、書籍、映画、写真などなど、情報が多すぎる。
デジタル化で情報は蓄積されているので、今現在が歴史上最も情報量が多く、それが毎日どころか、毎秒更新されている。
情報過多とはまさにその通りで、人間が処理できる情報の量を明らかに超えている。恐らく、人間の情報処理能力が情報摂取量に追いついていないのではないか。

加えて、文明の発達に伴い、ものすごく便利になった。時間を短縮できるようになった。
今は仕事をするとなると、多くの人が電車に乗る。車に乗る。便利だ。
そして時間ができた。と思ったらその電車に乗っている間、携帯をいじってニュースを見たり、TikTokで動画を見たり、Instagramで写真を見たり、Netflixで映画を見たり、本を読んだり。様々であるけれど大抵の人は情報と接している。
電車内でコンテンツと接していない人となると、おしゃべりをしている人か、居眠りしている人ぐらいのもの。
その居眠りしている人のうちのいくらかも、耳にはイヤフォンがついていて、音楽なのか、音声コンテンツを流しているかもしれない。
車に乗っている時も、ラジオやら、テレビ、音楽が流れている。
飛行機でも映画が見れ、最近ではなんと、タクシーですら広告が流れている。
情報、情報、情報。四六時中情報に囲まれている。


「ポケモン」ポッチャマ

個人的に、世の中を上手に生きていくために取り入れないといけない情報量は、ここ数十年で多くなったと感じている。にもかかわらず、その量の増加分ほど人間の情報処理能力は向上していない。

しかも世の中には魅力的なコンテンツが溢れている。
興味深い書籍は毎年何冊も出る。
「アカデミー賞候補!」と銘打った映画が年に何本も上映され、各動画配信プラットフォームがそれぞれオリジナルドラマを発表する。
ハイブランドのファッションショーは1年に5回も6回も行われるようになった。
取り入れないといけない情報に加えて、思わず見ずにいられない魅力的なコンテンツ。
情報が多すぎるよ。
さらにさらに、デジタル技術の進化で、情報プラットフォームを作る優秀な人たちが、アルゴリズムを駆使し、ユーザーの情報を取得し、どのような情報を流せば、滞在時間を延ばせるのか、次の情報に移動させられるか。
などなどをコントロールしようと企んでいる。現に彼らの思うがまま。画面に釘付けになっている。
(これによって、ユーザーは偏った情報を取り入れることになり、陰謀論を信じ、過激と言わざるを得ない行動をとる人間も多いように感じる。)


一時期「無敵な人」という言葉が話題になった。確かこの言葉を生み出したのか、広めたのかは「2ちゃんねる」の開設者で元管理人のひろゆきさんだったはずだ。
無敵の人について、精神科医目線でざっくり語ります | 早稲田メンタルクリニック (wasedamental.com)

「混乱状態」によって、「無敵の人」とはちょっと違う、一時的にセルフコントロールできない状態に陥っている人も増えているのでは無いかと思っている。
よくよく考えたら、なぜそんなことをしてしまったのか当人にもわからない状態。
それによって、詐欺を働いたり、詐欺の被害に遭ったり。
「魔が刺した」という言葉を日本では使うが、そのような状態を作り出す要因には、情報過多と、摂取した情報に処理能力が追いついていない。という二つが関与しているのでは無いかと邪推している。

と言いつつ私も、この記事を書きながら音楽を流している。
そしてこの後、amazon Kindleで出版したオンライン写真集のPRもする。
情報を提供しているわけ。


今みたいに情報に溢れる前は、それがどんなものであれ情報を得ることが貴重だった。(今でも簡単に手に入らない貴重な情報はたくさんあるだろうと思う。)
テレビもラジオもない時代。書籍や新聞などで情報を得ていた時代。
書籍や新聞でさえも規制されていた時代もあった。

その時代にそれでも必死で情報を手に入れようとした人たちは、その時代の優秀な人たちか、何かしらの目的を持ち、能動的に情報を取り入れ、自身で考えた上でその情報を活用しようと試みていた人たちだったのではないかと思う。

そういう人たちは自ずと取り入れる情報に対しての処理を行うし、その辺りのバランスも上手くとっていただろう。
現在のあふれんばかりの情報が流れ、受け身でどんどんそれらを取り入れる状況とは全く違う。

個人的に今だからこそショーペンハウアーが著書の「読書について」で語っていたことが響くのかもしれないと思う。
「駄文を読むには人生は短すぎる」
人生は短くはない。ただし、浪費できるほどの時間やエネルギーはない。
このような考え方を持つことは大事なことなのかなとも思う。


少し前にTwitterでこのような投稿を見た。


この一連の投稿では便利さを人間が幸福や、豊かさに変換できていないのではないか?という問いが投げかけられている訳だけど。
ここまで書いてきたこともそこにつながるのでは無いかなと思っている。


その中でじゃあ何をするのかというと、まずは寝る前の10分ぐらい、目を瞑りながら、どのような状態が、自分にとって幸福なのか。どのような状況下で自分が豊かさを感じるのか。というかなり個人的なことを考えてみてはどうかというもの。
幸せや豊かさに関しての書籍や、動画も多い。やっぱりそれらのことは人間の最大の関心ごとなのだろうと思う。
ただ、他人が書いた情報に、必ずしも自分に当てはまる答えが載っているわけではない。むしろ載っていない事がほとんどだ。
なぜなら、幸福や豊かさは個人的な感覚であり、無理やり同じ言葉にしたところで、人それぞれ違うものだからだ。

やっぱり人間、どの時代、どれだけ豊かで、どれだけ便利であっても、自分と向き合い、自身のことを深く考え、可能な限り理解しようと努める必要があるんじゃないかなと思う。
以上。


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「読書について」 ショーペンハウアー


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試し読みもできるかと思いますので、ぜひ一度目を通してみてください。
お願いいたします。
「Found-object」


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