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「戦場のピアニスト」を観て

「戦場のピアニスト」昨夜観たのでその感想を。

これが実話を基にしたものだということに衝撃を受けました。
全くどんな映画なのか知らずに借りたのですが、正直観るまではもう少しライトな、戦時中のピアニストの生活を追っていて、最後はピアノを弾きながらピアニストとして死ぬぐらいの話かなと想像していましたね。


おそらく戦争の大変さってのはどれだけ映画を観ても、本を読んでも、実際に体験者に話を聞いてみてもそれを体験したものと、そうでないものとの間にはかなり大きな壁があるのではないか。その壁は埋められないのではないかとこのような作品と対面するたびに真に感じます。
そしておそらくその考えは私の中では正しいことだと思い、だからこそそれらに関する本を読み、映画を観るのだと思います。


なのでなおさら、それらを経験していない人も含まれているであろう戦争映画を作成するチームには尊敬しかありません。それらを観ることでどれほどの機会を人々に与えてくれているのか。


映画を観る際に私が気を付けている点の一つは、一つの面から物事を考える際、情報を入れる際に、その時事実には違った面が存在するというのを忘れないということ。
特に戦争映画などをみているとその中のある一方が悪で他方は正義だというような表現がされているなと思うことや、そこに登場する人物がオリジナルのものであれ実在した人物であれ、その人だけが他の人たちとは違っていた。と感じるような表現をたまに見かけます。


この映画は実際に起こった事象を元に描かれた物語であるので、こんなにひどいことがあったのか。止めを疑うようなシーンが多々ありますが、「迫害された人ナチス」と「乱暴なドイツ軍」という構図の中でその一面だけを取れば完全にドイツ軍は悪だと捉えられます。

ただその中で私が思ったのはいくつかの戦争映画を見た中でそういった構図を作り一方を悪、一方をその被害者のような作りにすれば見ている側にはわかりやすい上、一つの映画ではそれほどまでに多面的に物事を表現することは難しいということです。

要するに、この映画ではドイツ軍は残忍でひどい、ただ別の映画を見れば日本軍がその立場だったり、それがアメリカ軍、フランス軍になったりと、戦争が簡単にこの部分が悪いんだと言えるものではないということでしょう。

当然「戦場のピアニスト」で描かれる悲惨な出来事は本当に恐ろしく、許しがたいことです。
ただその非がどこにあったのかは一面的ではなく多面的に考えなければいけない。というのが私の考えとしてあります。

とりわけ戦争映画の場合、感情を揺さぶるシーンが多々あり、さらに今となれば多くの人がそれを体験したことがない。そんな情報を入れればその情報だけに固執してしまう人が一定数出てきてもおかしくないと思います。


それらを前提において私が戦争映画を見ていて思うのは、人はどれだけのことをやれるのか。ということです。

この映画は約80年前、今でも戦争をしている国もあります。
例えば戦争で先頭に立って戦っている人、後ろで指示を与えている人たちがそれ以外の人たちと比べ何か違いがあるのなら特段問題はありません。
あの人たちは異常だ、変だ、その区別が簡単につくのであればそれはそういうもんだで何かしらの対策はできるでしょう。

ただ現実はそんなわけではなく、世間でいうところの普通の人たちが戦争に参加し、おそらく何かしらの目的のためにそのようなことをする。その理由が何かは人それぞれでしょうが、ある状況になり、さらに目的があり、それを達成するための指示やプランがあれば、またはそのいずれかだけでのあれば誰でもそういったことをするんだ。ということだと思います。

それらについては今まで色々な人が調べていて、有名な実験で言えば「ミルグラムの電気ショック実験」などは知っている方も多いのではないでしょうか。

これはアイヒマン実験とも通称されているもので、権威などの命令であれば、人は殺人などの重大な結果をもたらすこともあるのではないかということを調べたものです。


そうなれば一番危険なのは「変な人」ではなく、「普通の人」ではないかとも言えますよね。なにせ判断がつきませんから。
というような話を以前何かの講演で養老孟司さんが話していたなというのを思い出しました。(これは確かオウム事件についてだったと思いますが)

まああの映画の中では上記のことを踏まえた上でも嫌にやりすぎな行為なども描かれていて、ある種権威を利用した弱いものへの虐待であり、人はこれほどまでひどいことをやれるものなのかと思ったのも事実です。

見た方はわかるでしょうが、これは命令以上のことをやっているのではとか、本来の目的とは関係なくただの鬱憤を晴らす行為だろうと思うシーンがいくつもあり、その結果が人を殺すというものですから。
なんとも言えないですよねこれは。



とか映画見ながら考えつつでもそれは良いことか悪いことかはおいておいて、もし社会生活を送る上で良い方向に使うこともできるのではないかと。
どうやってという具体たてきな案が今の所なくて申し訳ないのですが、、

ある環境の中で「権威」という言葉が「正義」や「正解」に変わることがあるように感じます。多くの人がそもそも正解などないとわかっていながらもそうなってしまう。
そういった空気は戦時中ではなく今現在の小さなコミュニティーの中でさえ存在するのではないでしょうか。
少なくともその部分はしっかりと否定できるようをコミュニケーション力をつけ、社会性を形成する段階でしっかりと伝える。
そういったことの徹底はできるのではないかと思います。


最後に言いたいのは、主人公のシュピルマン演じるエイドリアン・ブロディの演技が凄すぎるというところじゃないでしょうか。かなり難しい役どころだと思うのですが、作り物の質を超えているように思います。
まさにそのシーンがそこにあるって感じです。変なたとえですけど。これ以上は言葉にできないぐらいですね。
ぜひたくさんの方にこの映画を見ていただきたいです。本当に。

見終わった方は追加でドイツの軍人さんのこともぜひ調べてみてください。
見たらどんな人物だったのか調べたくなるはず!

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