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「自分の死を自分で決めることについて」思ったこと

本日で2回目のnote投稿。
…で、このテーマなんですが、私にとってはあまり特別なことだとは感じていません。
つい先日から、ALS患者さんの死について医師が逮捕された事件が報道されていますよね。
以前、NHKのドキュメント番組でも、スイスで安楽死を選んだ女性を追いかけた内容のものーNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」-が放送されて、BOP申し立てられたりもして…
ありきたりな言葉だけど本当にムズカシイ問題。

注)以下の内容は、安楽死を助長したり、支持するものではありません。あくまでも私個人の意見として、お読みいただければ幸いです。

死を考えるから、生が輝く 

私自身、昔からこれは絶対だと思っています。
死は生と表裏一体で、常にすぐそばにあると思って生きてます。

「永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ。」はガンジーの名言と言われてますが、まさにそう。
私的には「永遠に生きるかのように生き、いつでも死ぬことを考えて生きる」っていう、どうにも矛盾した考え方が常にあります。

いつも身近にあった「死」の話

私が「死」に興味をもったのは、祖母の影響が大きいと思います。
生まれたときからいっしょに暮らしていて、第二の母のような祖母。
明治生まれで、夫(私にとっての祖父)は、終戦の2カ月前に徴兵され戦死。女でひとつで母を育てて東京に家も建て、入院もせずに90歳で老衰でした。

そんな祖母に、小さいころから戦争の話、おじいちゃんの徴兵の時の話や戦死を知らされた時の話、ずっと帰りを待ってた話をいつも聞かされていて、死んだ人への愛情というのをいつも身近に感じていたんだと思います。
だから、私のなかでは、亡くなった人の話をするのはまったくタブーではないのです。

そして、高校卒業までの間に、祖母をはじめ、近所にいた祖母の妹と弟、友人の母、父方の祖母、親戚など、かなり近い関係の10人以上の最期のお見送や葬儀の裏方も経験していました。

特に、祖母の死はいろんな意味でいい影響を受けました。
亡くなったけれど、ほぼ持病もなく老衰であまり苦しまなかったし、本当に人に迷惑をまったくかけずに旅立っていったから、みんながうらやましがる死。葬儀にも笑顔があふれる。
悲しいけれども、みんなが喜ぶ最期。

大学で触れた死生観

その数年後、大学で偶然出会ったのが「死生観」の授業。
祖母の「前向きな死」を経験していた私の一気に興味は高まっていって、もうほかのゼミの履修届をだしていたんですが、単位はいらないからどうしても出席させてくれといって、受講生になりました。

そこでは、毎週死について語り合う。
いろいろな見送り方について調べ、実際にインタビューに行き、末期がんの方のホスピスの会合でも話を聞きました。

その時に知った、QOL=Quality Of Lifeというキーワード。長さではなく、人生の質。
そして安楽死、尊厳死の意味や価値。
私がかかわった多くの人は、死を考えているからこそ、どうやって生きるのかに本当に真剣でした。

対極にあった両親の二つの死

母が亡くなったのは20代後半。その数年後、父も亡くなりました。
二人とも病気ではあったものの、そこに至る過程はまさに対極。

病気があっても前向きに一生懸命がんばろう、できれば頑張って生きたいとしていた母。
病気がわかったとたんに精神的ダメージが大きすぎて、受け止めきれずに生きる気力を失ってしまった父。

余命宣告をされてもそれよりも長く生きて、頑張って生きたいと思ってもかなわなかった人
病気の進行的には余命はまだ先なのに気力喪失ではるかに早く寿命を縮めてしまった人

人間は気力で生きているということを、まざまざと見せつけられたと思っています。

人生の最期の決定権を託されて感じたこと

私は母の最期を託されていました。
それは、医師から呼びだされて、母と三人で話をした時でした。

「いま合併症が出ていて、もしかしたら最悪の場合、急な心肺停止や意識障害などの可能性も考えらえます。その際、ご本人は延命治療を希望されますか?」と。

母はそこで「結構です。延命治療はしないでください。苦しいのは嫌なのでそれだけお願いします」と言い切りました。
そのあと、私に「いいよね。全部託すから、わかってね」と。
なんとしても生きていてほしい、そう思うのが家族であり娘なのかもしれません。でもそのとき、母の想いがそうあるのなら、私はそれでいいと思いました。

幸いなことに、わたしは母の意識がちゃんとあって、一緒に遺書書く手伝いまでして(笑)、最期の瞬間までずっと見届けることができました。
死の数時間前からは意味不明なことばかり言っていたので、本人の意識はほぼそこにはなかったと思います。

母の意志と想いをしっかりと受け止められた最期でよかったと。
残されたものとしては、死を託された=人としてこれ以上ない信頼を与えられたと思っていて、誇らしくあったりするのです。
今の私の支えになっているのは、確実です。

数年後に父も亡くなるわけですが、これほどのドラマもないほどにあっという間だったわけで…
でも、言ってしまえば、父は死を望んでいました。
もうつらい治療はしたくない、死にたいと。

ある意味で、自分の望む形に病気の進行を進めて、そこにも父の意志があると思っています。

死は決められない、でも生は決められる

簡単に自分の死を決めることはできないし、尊厳死も安楽死も、答えの出ないテーマだと思います。
突き詰めれば、結局は何のために生きるのかになってしまうのですよね。

何のためにとかではなくて、無条件に生きてるだけで価値も意味もあると思う。
でもどう生きるかを考えることも必要だと思う。

無限ループではありますが、私としては、どんな状況になったとしても、どう生きるかを考えてどう死ぬかも意志を持っておきたいと思っています。
それがかなうかかなわないかは別として。

いつ死んでもいいように、今やりたいと思っていてできることであればやっておく。
ただただ、そんなシンプルなことに尽きるのかなと思います。

死後の世界があるのかはわかりませんが、あるのであれば、家族に会えるってことですもんね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました(^^♪

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