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走る理由は村上春樹が教えてくれた

2019年はマラソンにハマった。元々走るのが大嫌い、走るならいっそ泳いだほうがマシと思っていたくらいなので自分にとってセンセーショナルな出来事だった。なぜ急にここまで夢中になったのかわからなかったのだけど、かの村上春樹氏が10年も前に完全に文章化していた。
村上作品はほとんど読んでいるけれど、これだけはランニングを始めなければ手をつけなかっただろう。
腑に落ちたしなんだかとても感動して英語版と日本語版両方読んでしまった。

今年の目標は63キロのウルトラマラソン完走。
ランニングのメリットを再認識するために、村上春樹先生の言葉を引用して、決意を固めたいと思う。


他人との勝ち負けではなく自身の設定目標に到達できるか

ランニングは、設定した目標に到達したかしないかがハッキリしている。42キロ走れたか走れないか。昨日より速かったか遅かったか。だから自分の成長を実感しやすいし努力していて楽しい。
チームスポーツは他人のコンディションなども関与してくるので私にはちょっと複雑だった。

他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。それよりは、自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか──そちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離走は、僕のメンタリティーにぴたりとはまるスポーツだった。
It doesn’t matter what field you’re talking about—beating somebody else just doesn’t do it for me. I’m much more interested in whether I reach the goals that I set for myself, so in this sense long-distance running is the perfect fit for a mindset like mine.

他人に気を配らず一人でできる

大人になってから気づいたのだけれど、一人の時間を確保するのは意外と難しい。
仕事をしていて人と関わらないことはないし、休日も自然に人と合う予定が入る。私は元来内向的な人間なので、ずっと人に会っていると疲れてしまう。ランニングをしていると一人になるし、口を聞かなくてもいいので、良い気分転換になっている。

僕はどちらかというと一人でいることを好む性格である。いや、もう少し正確に表現するなら、一人でいることを それほど苦痛としない 性格である。I’m the kind of person who likes to be by himself. To put a finer point on it, I’m the type of person who doesn’t find it painful to be alone.

やり場のない怒りやストレスを消化できる

職場やクライアントに不満があっても文句を言うわけにはいかない。そういうシチュエーションは会社勤めだと仕方がない。そんなときに平和に発散できて、勝ち負けのストレスがなく、手軽にできるという点でランニングは会社員の味方だ。

誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。
Let me be more specific. When I’m criticized unjustly (from my viewpoint, at least), or when someone I’m sure will understand me doesn’t, I go running for a little longer than usual. By running longer it’s like I can physically exhaust that portion of my discontent. It also makes me realize again how weak I am, how limited my abilities are.

不健全とのバランスがとれる

これはこの本を読んで初めて気がついたことで、痛いくらい膝を叩いた。
「不健全な魂は、健全な肉体に宿る」というのは名言だ。
ランニング好きとか言うとすごくヘルシーで健全な人間だと思われるかもしれないけれど、私は大酒飲みだし肉から昆虫まで食べる雑食だしギャンブルも嗜む。運動をしていなかった時期は不健康でメンタルも不安定で酒癖も悪かった。
ランニングを始めてからは不安定になったり酒を飲んで管を巻くこともなく、バランスが良くなったと感じる。

真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。逆説的に聞こえるかもしれない。しかしそれは、職業的小説家になってからこのかた、僕が身をもってひしひしと感じ続けてきたことだ。健康なるものと不健康なるものは決して対極に位置しているわけではない。対立しているわけでもない。それらはお互いを補完し、ある場合にはお互いを自然に含みあうことができるものなのだ。
To deal with something unhealthy, a person needs to be as healthy as possible. That’s my motto. In other words, an unhealthy soul requires a healthy body.
Sure, many people who are on a healthy track in life think only of good health, while those who are getting unhealthy think only of that. But if you follow this sort of one-sided view, your life won’t be fruitful.


大人になってから、マラソンに出会えて本当にラッキーだったと思う。昔はマラソンなんて天地がひっくり返っても無理だと思っていた。
マラソンにハマったおかげで、自分のための時間がとれて、ストレスがなくて、不健全と健全な生活どちらも満喫できる。
今年もたくさん走ろう。


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