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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたもりおゆうのライフワーク画集。誰の心にもある遠い日の思い出を200枚を超える水彩画で・・・毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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#自分の人生

鉄くずを拾え!/昭和少年奮戦記

 「僕の昭和スケッチ」60枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 今回は、お小遣いのとても少なかった…いや、まだまだ生活の苦しい家庭も多く、そもそもお小遣いなんて貰えない子もいた昭和少年達の奮戦記です。 もちろん、実際にあったお話です。 昭和30年の初め頃の事… 或る日曜日の朝、町内の誰かが 「鉄くずを拾って小遣いにしよう!」と言い出したことがあります。 (😅💦とても信じられない話しでしょう) 「学校の廃品回収の時に知った近隣の鉄くず回収業のオッサンの所に

続神社の境内/香具師が来た!

 「僕の昭和スケッチ」47枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 学校帰りの神社の境内に「香具師(やし)」が来ている事があった。 香具師とは、フーテンの寅さんでお馴染みの「てきや」のことです。 一番良く見かけたのは、「軟膏売り」、いわゆる「がまの油売り」です。 その口上は中々のものでした。 短刀を片手に、「切ります!」と二の腕に刃を当てる… ぐるりと輪になって取り囲む観客は固唾(かたず)をのんで香具師に注目する… だが… 「とくと、ご覧あれ! 切ればたちま

神社の境内/小学校の帰り道

  「僕の昭和スケッチ」46枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは学校帰りに何処を通って帰りましたか? 川沿いの道? 商店街の道? 池のほとり? 田んぼのあぜ道…? 僕らはいつもK神社の大きな敷地の中を通って帰りました。 上の水彩は、その神社の思い出を絵にしたものです。 そうです、僕の昭和スケッチを最初から見て頂いているあなたにはもうお判りかと思います。子ども達の間で「おキツネ様」が縁の下に棲んでいると噂されていた、あのK神社です。アタンテ君が泣い

恩師山川利夫画伯に捧ぐ/届かぬ想い

  「僕の昭和スケッチ」43枚目 今日はちょっと私の恩師の話しをさせて頂きます。 これは、私の中学時代の美術教師「山川利夫」先生の似顔絵です。色々調べては見たのですが、写真も何もなく、私の脳裏にあるだけの姿ですから実際の先生と似ているかどうかは正直申し上げてよく判りません。なにしろ、もう半世紀も前の事です。 山川利夫先生は、第一回日展で入選し、第八回で日展特撰、示現会委員もお務めになり、終世を岐阜でお過ごしになった著名な油彩画家です。 ですが、そういった事は随分後になって

続思春期の頃/映画「デボラの甘い肉体」

  「僕の昭和スケッチ」42枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> *この記事は先週の思春期の頃/映画「デボラの甘い肉体」の続きです。 さて、補導される恐怖と恥ずかしさも何のその、 私たち3人は、目くるめくベッドシーンを期待して映画館に入った。 何しろ、「デボラの甘い肉体」です! そりゃあ、誰だって期待します、するなという方が無理です。 デボラの…(なんてsexyな名前なんでしょう!) 甘い肉体!…ですよ! だが… 数時間後、私たちはどんよりと肩を落と

思春期の頃/映画「デボラの甘い肉体」

  「僕の昭和スケッチ」40枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> *女性noterの方は今回は目をつぶってご覧下さい😋 平凡パンチやプレイボーイが見たい! 成人指定の映画だって見に行きたい! 思春期ともなれば、男子の頭の中はもう女の子の事で頭が一杯! だが、ポルノ映画を見に行く勇気はさすがにない。 しかし…! そんなある日待望の映画がついに街にやって来た。 「デボラの甘い肉体」! 背伸びして買った映画雑誌「スクリーン」にもデボラの甘い肉体はページをさ

遠い日の思い出

  イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」最初の一枚 これは子供の頃の記憶です。 或る夏に在所でザリガニ採りに行った帰り道の思い出。 先を歩いているのは、在所の従兄弟です。 バケツからザリガニが逃げ出しているのに気付かず歩いていました。 制作は2005年。ちなみに、仕事の合間をぬって「僕の昭和スケッチ」を始めたのが2016年ですから、昭和スケッチより10年以上前の作品という事になります。けれど、最近になってこの絵を見ると絵のティストは昭和スケッチとはちょっと違うものの、これ

オート三輪、しばしば横転す/田舎の農道

  「僕の昭和スケッチ」39枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> オートバイとトラックのいいとこ取り、と言われたオート三輪。 あなたの街や村にも走っていませんでしたか? 安くて小回りがきいたオート三輪は戦前から1950年代に日本全国を走り回っていました。当時の日本では、まだまだすれ違い困難な未整備の狭い路や曲がりくねった路が珍しくなかったのです。そのため、オート三輪の機動性はなくてはならないもので、酒屋さんから農家まで非常に重宝された車だったのです。 だが

昭和はオニギリの時代

  「僕の昭和スケッチ」38枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 昭和ってオニギリの時代だと思いませんか? だって、お弁当って、それしかなかったでしょう? (貧者の独断) 運動会や、遠足の日に今時の見た目も綺麗で美味しそうなお弁当なんて映画やTVの中の世界でしたよね。(独断アゲイン) ちょっと(そうとう)独断ですが、言って見れば、みんなオニギリだった! 梅干しや、おかか…、たいていそんなものだった。 (いやいや、タクワンは二切れくらいは付いていたぞ。)

ホットパンツ降臨/昭和46年

  「僕の昭和スケッチ」37枚目 <画/もりおゆう© 原画/水彩 サイズF5> 昭和も40年代半ばとなると街角の様子も一気に変わってくる。 服装も、ミニスカートの後、ロング(マキシ)スカート、と入り乱れるように登場し男子の目を釘付けにしたのが… 「ホットパンツ!」 それ以前の流行、ミニスカートは、TVの中ならいざ知らず一般にはミニと言っても膝が出るくらいで騒いでいただけだが、ホットパンツは違った。 女子の太腿は、もはやミニなど何のそのとばかりに露出し、当時の流行語「

兄貴の作った鉱石ラジヲ

  「僕の昭和スケッチ」36枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは「鉱石ラジオ」って知っていますか? 当時の表記だと「ラジヲ」となります。 ある日曜日、兄貴が何かよく判らないものを作っていました。 まだプラモデルもない時代で子ども達は当時現れ始めた模型屋でハンダゴテや針金、工作用の木片等を買っては自分達なりの「何か」を作って満足していた時代です。 恐らく鉱石ラジヲはその類いで、学校の教材だったか、或はその当時流行っていたからなのか、とにかく兄は私

何故…?家の中に牛がいるっ…😅!?

 イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」35枚目 これは昔の美濃地方の富農に見られる典型的な百姓屋の一隅を描いた一枚。 大きな玄関から入って来た広い土間には、農器具等が置いてある。 その奥がこの牛小屋。さらに奥が台所に繋がっている。 土間を介してこの牛と反対側は、大きく立派な畳敷きの部屋になっている。こういう造りが多かったようである。 私の育った岐阜市内では屋内に牛がいるという事は考えられない事だった。 「モーッツ、ビックリ!」 と子供でなくても駄洒落が出そうな遠い日の記

続/屋根の上の世界.憧れだった赤い奴

  「僕の昭和スケッチ」34枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> (昨日の「屋根の上の不思議な世界」の続きです) その変わった物干場のあるKちゃんの家は、お母さんが美容院をやっていて女手一つでKちゃんを育てていました。お母さんはお洒落な人で、美人。新し物好きでもありました。そのせいか、Kちゃんはちょっと僕らと違っていました。例えば…(いきなりへんなところへ行くが)お弁当には何時も赤いソーセージがはいっていたのです。赤いソーセージは当時では、まだ出たばかりの新

屋根の上の不思議な世界

  「僕の昭和スケッチ」33枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 子供の頃によそ子の家に遊びに行くと、その家の作りに驚くようなことがありませんでしたか? 幼なじみのKちゃんの家が、まさにそんな感じでした。 表通りから見ると商店街は整然と並んでいるのに、中に入って上に上がると全く違う世界が見えるのです。 二階へ上がって外にでると、上の絵のような感じ。 「どうして?」と訝(いぶか)るような場所に物干し場が伸びています。なんだか、遊園地みたいだと思いませんか?