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母親は2度生きる

カンタービレは親とは疎遠です。

ですが、珍しく電話がかかってきました。

これまで、私の誕生日などに電話がかかることなど皆無でしたが、

〇〇歳になったんでしょ、
私が、夫を亡くした歳だから、、、という。ああ、そうだったわね。。。父は割と早めに亡くなったので。

だから、なんだというのよと、心の中で思う。
だから、思い出したのか?!
自分と私を重ねて無事を確認したかったのか?

母の思惑は謎ですが、母親というものは、そうやって自分の歳と、子供の歳を重ねてみていくものなのかもしれません。

母とは電話でたまにやりとりはしますが、感情的に、遠くにいないとしんどい相手だから、離れています。会いたくもありません。声を聞くのも好きではありません。

散々、苦しめられましたので。

よくある、母娘のややこしいバージョンと思っていただければ、いいです。

親になったからと言って皆が皆、親らしいわけではないのですから。

まあ、親にもいろんな事情があり、そうなるしかなかったと今は思えますしねえ。

育てられた恩は、苦しめられた、傷つけられた痛みを越えるのでしょうか?わかりません。

私が16歳の頃、母はまともではなくなったことが、あからさまになりました。

借金を重ねるようになったのです。

ともかく、親らしいことはできなくなりました。実はその前から、かなり、親らしくないことはたくさんあったのですが、、、カンタービレは見ないようにしていたのです。

私は、自分の子どもが高校生になったら(母がおかしくなった歳に自分がなったら)私は母のようにおかしくなるのではと、少し不安でした。おかしくなったわけではないけれど、その辺りから、病気持ちになりました。

母というものは、子どもにも自分の歳を重ねて、生きる、そういう生き物なのかもしれません。

でも、私はもう、あなたの苦しみには共感できません。私は私の人生を生きていきたい。あなたはあなたの人生を、自分のしたことを受け止めて私から離れたところで、どうぞ気の済むまで生きてください。とても、ともには歩いて行けませんから。

親切って、
なぜ、親を切るって、書くんでしょうねえ。



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