外に起こることは・・内側でも起こっている?
心の中のことが外に展開されて、心の中を見せてくれる、ってよく聞くことあるけど、
なるほどなーと思うことある。
例えば、これが好き!というものや感動するものに出会うということは、
心の中に共鳴するものがあって、それが外に見つかって、嬉しいって気持ちなのではないか、と思う。
心の中って、自分でわかるようでわからないこともあるから、
外にわかる形で見せられると、単純に、そーだよね!と思ったりする。
今日はそんなことがあった。
小さなことだけど、
朝ドラに久々に感動した。
今シーズンの朝ドラは、作曲家の話で、正直、ボンボンの苦労知らずの才能ある人の話だなと思い、
大して思い入れはなかったのだけど。
それも私の心の中の反映で、私は生まれがいい人に対して、どんな功績があっても、どうせ、生まれがいい、恵まれた環境だったんでしょ、ってひねくれた気持ちが未だにある(書きながら笑える)。私が逆境だったから、それは、ぬぐいきれない思いだけれど、
外側のことをどう感じるか、どう思うかは、本当に心の中にある思いで変わってくるのだ。どんな価値観や想いが胸にあるのか、外側をどうみるか捉えるかをみていくと、わかるのだ。
生まれ、逆境が悔しい、って思うと、恵まれた生まれのいい人のことを、どこかうらやましいって思う。逆境だということを別にどうも思ってなかったら、たぶん、いい生まれだとか、そんなこと気にしないで物語をたどるだろう。(ここで、改めて逆境コンプレックスに気づく笑)
と、くだらない話を書いたけど、
今回の朝ドラの中で一番感動したのが今日の話だった。(主人公の周りの人の話だけど)
軍人であることに誇りを持っていたけれど、敗戦して、思うような仕事が見つからず、プライドを捨てきれないが、仕方なく始めたラーメン屋の仕事をするうちに、いろんな出会いを経験するうち、何かが変わるのだ。
その中には親も兄弟もなくした戦争孤児との出会いもあり、戦争孤児とだんだん親しくなる。
ラーメン屋で働くうちに、ある日軍人だった同期から、貿易会社に来ないかと誘われて一旦は貿易会社に就職することに。1ヶ月を過ぎた頃、ある時、同期から、同期がラーメン屋なんか恥ずかしい、笑われるのをみていられなかったから、この会社に誘ったと言われ、カチンとくる。帰りにラーメン屋をチラリとみて帰り、友達になった戦争孤児を訪ねると、病気でぐったりしていた。あわてて病院へ連れていく。
その後、なぜ怒りが湧いたのかわからない、ラーメン屋に戻りたいのかわからないという夫に、妻はいう。
あなたは、昔、軍人は人のためだから命をかけて戦える、って言った、あなたの誇りは軍人である誇りじゃない、
人のために命を燃やせるのがあなたの誇り、
そう信じて私はあなたについてきました。
貿易会社でも、ラーメン屋でもどちらでもいい、その生き方ができる選択をしてほしい。
きゃー、かっこいい!(笑)
それを聞いた夫は、さっさと貿易会社を辞めてラーメン屋に戻る。そして、生き生き働きはじめる。そして、ラーメン屋を住み込みで手伝え、と友だちになった戦争孤児に、うちに来ないかという。
何を大切にしたいか、妻もぶれてない。
かっこいい❗️
そうなんだよね。何を誇りにして生きるか、それさえぶれなければ、どこにいたってどうということはないし、それを大切にできることががやはり生きる喜びになるんだよね。
自分がどうありたいか、どうあるのが自分を感じられて生きれるか、なんだよね。
それが今の私にとって重要なテーマで、どうありたいの?って自分に問いかける日々なので、
心に響いて感動したんだなー。
外に起こることは心の鏡になる、そう思いながら起こることを見ていくと、結構面白いし発見があるのです。
そう思うと、当面、周りに起こる全てのことを、わが内なる世界がどう現れるのか、現れてくるのか、謎解きみたいに楽しめそうだ。
さて、私はどうありたいのか、
やはり、人の本質に触れたり感動したり、していたい。それこそが喜び。
その手段が私の場合は、カウンセリング^_^
困ったことがあった時が、それに触れるチャンスだから。必然的に悩みのある人の中にこそ、宝がある。それに触れると、気がつくと、本当に内側からキラキラと輝きだすものが溢れてくる。その瞬間のために生きていたい。
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