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#14 不登校7年間がついに高校生に 【7年間の不登校から大学院へ】


 小学3年生から続いた7年間の不登校生活についにピリオドを打ち、相談室で出会った親友Aちゃんとも別々の進路へと旅立った、中学卒業までの前回記事はこちらから。



今回の記事からは、いよいよ教室に通うことになる高校生編を更新していきます。

中学卒業までは、教室に通えないことで授業が受けられず学力の差があったり、大人数の友だちとの交流はなかったりといったことで悩んでいました。

それが高校生になり、自分に合った学校だと思える環境に出会って教室には通えるようになりましたが、それで今までの7年間の悩みが全て解決! というようなものではもちろんありませんでした。


教室に通うなかで生じる様々な問題や抱える悩み。
それは勉強の面であったり、思春期特有の友だちとの関係だったり。ちょうど大人と子どもの狭間にいる10代は難しい年齢だなといま振り返っても思います。


7年間もずっと教室に行けず、学力の面でもブランクのあった私が、どんな高校生活を送ったのか。それらの日々をまた、ありのままに書いていきます。




不登校だった7年間から、ついに高校生に

 入学前に制服の採寸と説明会のようなものがあったので、中学校の制服を着て、春から通うことになる高校に行った。



あいかわらず明るくて解放的で、初めての説明会で緊張しているにも関わらず、不思議と気持ちは軽かった。

友だちできるかな、誰かに話しかけた方がいいのかな、なんて思いながらソワソワと落ち着かずに待機していると先生が入ってきて次々に資料が配られた。


そんななか渡された入学までの課題ワークがなぜか私だけ周りと違うかった。


配り間違えたのではないかと思い、近くにいた先生に尋ねると「特別進学コースの子は、課題ワークが違うのよ」と、そこで自分が手渡されたワークがみんなよりも2倍ほど分厚いことに気がついた。


そこで改めて、そうだ、自分は勉強を頑張るクラスに入るのだったと気合を新たにした。


説明会は数時間で終了し、そんな学校からの帰り道は晴れ渡って清々しかった。

本当に不思議だった。「学校」ということでは同じなのに自分がそこから感じとる雰囲気がまるで違っていて、気持ちまでもが違っていた。




トモエ学園なら通えそう! と思ったこと


 黒柳徹子さんが書かれた『窓ぎわのトットちゃん』という本をご存知でしょうか。



大変有名なベストセラーであることから、知っている方や読んだことがある方も多いかもしれませんが、私は初めて読んだとき「トモエ学園だったら、私は学校に通えてたかも知れない!」と思いました。

かつて実際にあったトモエ学園では、その日中にやらなければならない勉強内容は、各自どんな順番でこなしても良い。だから朝から算数をやっても、国語をやっても良い。まだ勉強に乗り気じゃない気分だったら、読書から始めても良い。

それも立派な勉強だからという教え方。


もしやらなければならないことを、人よりも早く終わらせることができたら、そのあとの下校までの時間はお散歩に出ても良い。図書館で本を読んでも良い。


ときにはお天気がいいからという理由だけで、先生がクラスのみんなを連れ出して近所をウロウロとお散歩して、天気や野鳥、植物などの自然の仕組みをさりげなく話しながら実体験を通して学ばせる。

そんなただの遊びのように思える時間が、立派な理科の学びとなる。

そうやって自然と学んだ内容は忘れることなく、生徒たちの興味はどんどんと広がる。


トモエ学園の学び舎は、元々は電車の車両だった車体をそのままそっくり中身だけを教室に変えたもの。それを聞いただけで、まるでアトラクションのようだと胸が高鳴り、お昼ご飯の時間には、みんなで円になって「山のものと海のもの(山で採れる食材と海で漁れる食材)」が入ったお弁当を食べる。

さらに、トモエ学園の小林宗作 先生が生徒によく言っていたという

お食事は、時間をかけて、楽しく、いろんなお話をしながら、ゆっくり食べるものだ

黒柳徹子さん著『窓際のトットちゃん 新組版』P.62から一部引用

この教えから、みんな食事の時間をとても大切にしていたとのこと。


「合宿」と名のついた課外活動でも、実際には夏休みの体育館でテントを張ったパジャマお泊まり会。誰もが楽しめるようにと工夫されたドキドキワクワクするような学校行事。



以前の小学校から半ば追い出されるように辞めさせられたトットちゃんに対して、

「きみは、本当は、いい子なんだよ!」と言い続けたトモエ学園の小林先生。

その言葉に育まれたであろうトットちゃんの自尊心。

みんな違って、みんな良いんだ

多様性を尊重する校風と教え。



あぁ〜、トモエ学園みたいな学校があればなぁ!!


と思わずにはいられないほど、こんな学校だったら通えたかもしれないなと本を読んだときに感じました。




 何度も書いてしまいますが、今から振り返るとトットちゃんのように、私の場合は環境がキーポイントだったという気がしています。


トットちゃんと私はタイプも何もかもが違うけれど、環境がその人に与える影響はとても大きいものだな、と感じます。

本来は自分に合った環境に出会えるか否かの問題なのに、その割り当てられた環境に当てはまることのできない自分はダメなんだと、ひたすら自分を責め続けてしまうのは非常にしんどくて、心にも爪痕を残します。

トットちゃんも、以前に通っていた学校では先生からもクラスメイトからも問題児扱いをされ退学まで追いやられたのにも関わらず、トモエ学園に編入してからは「きみは、本当は、いい子なんだよ!」という先生からの言葉で、ドンドンと自由にグングン成長していく。

環境が合わなかっただけであって、やっぱりありのままの自分で良いんだ思えるようになる。

まずはそう思えることで、自分には可能性があるんだと思えるようになる。だから過剰な不安や心配に邪魔されることなく、真っ直ぐに努力を重ねることができる。そしてちゃんとそこで学ぶべきことを全て学んで自分で成長していける。


そうやって自分を信じられるから、自信が付く。
自信がつくから、さらに成長できる。



そんなトットちゃんの姿を読んでいると、勇気をもらえました。

私の場合は、だいぶ時間がかかり、遠回りばかりしてしまったせいで多くの人に迷惑と心配を沢山かけてしまいました。でも自分に合った環境に出会えたことで、少しずつ変化が訪れて、その少しずつの変化が後々に大きな方向を変えることとなったような気がしています。



まるでその変化の様子は、枝葉の辿る先を一つ一つ変えていったら最終的には目指したかった方向へと導かれていったような、そんな感じでした。

目の前のほんの微々たる変化であっても、少しずつでも自分に合ったものを探してみたり出会ったりすることは、思っている以上に大切なことなのかもと感じた経験でした。


「きみは、本当は、いい子なんだよ!」

そんなことを真っ直ぐに言ってくれる学校がもっと増えればいいな。




高校入学


 
桜が咲く4月。
まだ硬くて馴染んでいないカバンと真新しい制服に身を包み、入学式に向かった。

学校のロビーで朝日に照らし出されたクラス表を見た。初めて知るクラスメイトたちの名前。まだ顔も知らないクラスメイトたち。まっさらな環境で新しい子に出会えるのがなにより嬉しかった。

入学式ではほとんどみんな緊張した面持ちだったような気がする。
まだ身に馴染んでいない制服がパリパリと硬い感覚だった。


入学式の後は各教室に分かれてホームルームがあった。

教室に行ってみるとロッカーや机、椅子のどれもが新品らしくツヤツヤしていた。

小中学校では1クラスが定員満杯の40人だった。でも私が通った私立高校はそれよりはもっと少人数のクラスだったため、それが嬉しかった。

パーソナルスペースがちゃんと確保された配置の教室は居心地が良くて、ちゃんと息ができる感覚でウキウキした。教室で空気が吸えると言ったら大袈裟に思われそうだけど、本当にそんな感覚だった。

人数が少ないクラスは私にとって、とても嬉しいものだった。

担任の先生が説明してくれる授業カリキュラムも勉強内容も、やっぱり特別進学コースは名前の通り勉強に特化した学部だったので、ハードそうだったけれど、私はやっと勉強ができると思ってそんなことですら嬉しく思った。




クラスの雰囲気と通常授業

 私のクラスは落ち着いた雰囲気で、どちらかというとおとなしい子が多いクラスだった。

のちに他クラスの子たちから「私だったらあんな静かでおとなしいクラス、息が詰まって無理」と言われたけれど、私はそんな静かで落ち着いたクラスが大好きだった。静かで落ち着いた環境が好きな私は、授業にも勉強にも集中できるその環境が何よりもありがたかった。



入学から一週間が経ったあたりで、通常授業がスタートした。

真面目に授業を聞いていたら各授業にもちゃんとついていけて、私立だからなのか自由な授業スタイルの先生が多く、連帯責任のような授業方法ではなく個人を重視した授業スタイルがほとんどで、それが私は心地よかった。

お昼の時間も、強制的に決まった量を時間内に食べ切らなければならなかった給食ではなく、お弁当になったため学校でちゃんとご飯を食べることができた。

何かしら部活動に入らなければならない規則だったので、写真部に入部した。というのも、実は小さいときから写真を撮ることが大好きだったからだ。写真部に入ったことで「デジイチ」なんて言葉ができるのと同時にカメラを購入して部活動に参加して、週一回の塾にも変わらず英語を習いに通った。


高校生活を楽しいと思えた。友だちと仲良くなるのに時間はかかったけれど、それでも徐々に仲良くなっていって学校で笑うことが増えた気がする。

なぜか保健体育係になってしまったので、体育の授業ではみんなの前に出てストレッチの号令をかけなければならなかったけれど、少人数ではさほど緊張もせずにできた。授業と部活動に週末は塾にと休みも少なかったけれど不要なストレスがなかったからか、毎日こなすことができた。


でも、やっぱり、「学校に行きたくない」と思う日が全くないわけじゃなかった。


だけどもう一度、中学生のときのような日々に戻るのは絶対に嫌だという気持ちがいつもそれに勝って、私は必死に、みんなに不登校だったことを悟られないように、学校に通うことを頑張っていた。



ただ、高校に通えるようになって少し慣れてきたころ、安心して緩んだ気持ちからか勉強に遅れが出始めた。


定期テストの点数は3割以下、平均点すら超えられない、そんな詳細はまた次回に。


次回は #15 勉強に遅れが出始めた2学期【7年間の不登校から大学院へ】を更新予定です。




 





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