見出し画像

香港 #17

香港に行く前、祖父母と一緒に住んでいた家に着いた。
しばらくぶりの家は懐かしく、あたたかだった。
祖母が2階の私の部屋をそのままにしてくれていたので、玄関からすぐにそこに向かい、チェストの中から以前着ていた普段着を出して着替えた。

下に降りていくと、祖母がお茶を入れてくれた。
私はその熱く少し苦めのお茶をゆっくりすすり始め、やっとほっとした気分になった。
テーブルをはさんで目の前にいた祖母は、葬儀の最後まで全く泣かなかった私を誤解していたらしく、どうか美英を許してあげてと涙した。
母を恨む気持ちはもう消えてなくなっていたが、大人になった私を見て欲しかった。話したかった。そして一緒にご飯を食べたかった。そんな気持ちのやり場がわからずにいて、またそれらが一度もできないまま、あまりにあっけなく逝ってしまった母への気持ちを、どう処理していいのかわからなくて、混乱していただけだったと説明した。
すると祖母は、母が私の成長をずっと見ていたのだと初めて語った。
小中高、大学と入学式や卒業式には私に見つからない様、そっと私を見に来ていたり、祖母が写真を渡していたのだと。また最近では、香港に私が旅立った日は空港に来て遠くから私を見ていたのだと。
それを聞き、私は泣いた。

それから、祖母は一冊の古いアルバムを出してきた。そのページを一枚ずつめくりながら、今まで一度も私に語った事のない母の話を、堰を切ったように話し始めた。

ーーー赤いチャイナ服のとびきり美しい母の写真。
母の最初の結婚は、国際結婚だった。留学生だった香港人の男性と恋に落ち、皆の反対を押し切って大学を中退して結婚。それからまもなく彼が帰国する際に一緒に香港に渡り、21歳で男の子を産一人産んだらしい。しかし、26歳の時に夫の不倫が原因で離婚になった。子供はどうしても渡してもらえず泣く泣く一人日本に戻って来た。

ーーー優しい笑顔をした父の横で、少しふくれっ面の母の写真。
傷ついてボロボロになっていた時に出会ったのが、私の父だった。はじめはちっとも恋愛対象でなかったのに、父が本当にとても優しい人で、何度も食事に誘われ話をしている内に徐々に関係が深まり結婚したらしい。28歳で私を産んで幸せに暮らしていたにも関わらず、私が5歳の時、突然母は私を捨て消えてしまった。だからそれから私は祖父母に引き取られ、育ててもらうことになったのだ。この時の私は子供過ぎて何も理解していなかった。ただ母に捨てられた事と、父さえも私と離れた事が大きな心の傷になり心を閉ざしていたが、祖母が初めて私に、母が自分の浮気が原因で離婚して家を出た事や、父が一人で私を育てる自信がないと私を祖父母にあずけ、一年ほど酒浸りになって荒れた生活をしていた事を語った。また、それ以降父とは全く会えていない事も。父の携帯の番号は変わってしまい、また会社も辞めてしまい連絡がとれなくなってしまったからだと。そんな父だけど私を預ける際には私名義の通帳と印鑑を祖母に預けてくれたらしい。一度だけ結構な金額のお金がその口座に振り込まれていて、それは私がお嫁に行く時に渡すつもりで祖母は今も全く手を付けずに持ってくれているのだと言った。


ーーー写真館でとった3人の家族写真。
母は、浮気相手の男性とすぐ上手く行かなくなり、結局別れて一人暮らしをし、パートの仕事を一生懸命していたらしい。そしてついに三度目の正直だと37歳で再婚したのが、私が病室であったあの紳士であり、39歳の時、未亜を産んだとのことだった。

沢山の写真。初めて祖母が語る母の歴史、ずっと長い間一言も聞けずにいた両親の事。私は大いに驚き、心を震わせ、時間も忘れて聞いていた。
そして、知った。母は、とても自由奔放な人だったと。

夫婦の事は結局当人自身にしかわからない。
何故浮気に走ったのか、母の本心も永遠にわからない。
父がどんな思いで一人きりになったのかもわからない。
でも、両親は完全に私を忘れていたわけではなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?