五井先生の文
動物的本能の昇華を
人間は神の分生命であり、動物は被造物である、と私は常に申しておりますが、人間が果して神の分生命的生き方、神の子的生き方をしているか、と申しますと、なかなかそうではありません。そうでないどころか、動物以下の生き方をしている向きもかなり多いのであります。
どういうところが動物以下の生き方かといいますと、猫なら猫、ライオンならライオンという同種族の動物が争いましても、噛み殺してしまうまでの争いは決してしないそうで、劣勢なほうは尻尾を巻いて逃げ出し、勝ったほうは逃げるほうを追いかけようとはせず、そのままで争いは終ってしまう、つまり、争いはあっても殺しはないのだそうですが、人間のほうはそうはいきません。争い即殺人ということや、殺人そのものが目的ということさえあります。国家間の戦争などは、正に大量殺人のできるほうが勝利を得る、というようなことになっていて、神の子人間どころか、動物以下の行為ということになります。
神の分生命であり、神の子人間であるべき存在者であり、知性を持ち、思考力を備えていて、善悪の見さかいの出来る人間が、何故知性も思考力も持たぬ、本能だけで生きている動物以下の行為をすることがあるのでしょうか、これは実に不思議なことです。
こういうところから、人間性悪説も生まれてきたのでしょうが、創造力、思考力、意志力という他の生物にはない能力、大宇宙の心、神のみ心に通う能力を持ちながら、宇宙法則や神のみ心を遠く外れた行為をしてしまうのはいかなる原因によるのでしょう。動物は自己の食生活のためだけの殺しをするだけですけれど、人間は権力欲による殺生をすることが意外と平気なのであります。戦争による殺害が端的にそのことを示しております。
自己保存の本能というものは、人間にも動物にもありますが、人間はあらゆる本能を制御できる意志と智慧をもっている筈ですのに、この能力をかえって本能を助長させるためにつかってゆき、人類という同一種族の中に常に騒乱を巻き起こしているのであります。
万物の霊長といわれ、事実神からこの世のあらゆる生物を従え得る智慧能力をさずかっている、他の生物より卓越した生命体である人間なのですから、いつ迄も動物以下の生き方をしていてはいけないのです。しかし、そんなことをあなたはいうけれど、そういう人間は極く一部の人間であって、人類の大半は殺し合いを欲してはいない、という反論が必ずあると思います。極く一部の人たちが戦争屋であるとしても、一度び戦争になれば、我を忘れて、敵兵を殺してゆくのは多くの兵隊たちであり、一日も早く敵の追滅を願うのは国民の大半であります。自己や自国民の無事を願うために、つまり自己保存の本能のために、人類同志が殺し合いをつづけるわけであります。
肉体の自己をかばうだけの自己保存の本能というものは、あくまで動物的本能であって、本来神の分生命であるべき、人間のものではありません。動物的自己保存の本能がある限り、そして、智慧能力が、そうした自己保存の本能を助けている限り、人間の世界から争いは絶えることはありませんし、殺人行為の消え去ることもないのであります。
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