原因のない不登校はあるのか? 三十年後に見つけた不登校の原因

「不登校に原因がないこともある」という通説


不登校になる要因には色々あります。

・勉強ができない
・いじめられた
・家庭の不調和 など

だけど、不登校関連のサイトを見ていると、
よくこんなことが書いています。

「不登校の原因は分からないことが多い」
「不登校に原因があるとは限らない」

私も少し前までは、この通説を信じていました。

私は、今から30年前に不登校を経験し、
小学5年生の3学期から1年間、学校へ行けなくなりました。

その年は平成がはじまった年でした。

その当時、自分自身でも、
「なぜ、学校へ行けなくなったかよく分からない」
と思っていたし、親から聞かれてもそう答えていました。

ただ、今から思い起こせば、
何となく残っている感情はあります。

「もう何もかも、イヤになった・・・」

でも、「何もかも」の中に、いったい何が含まれていたのか、
それは当時分かりませんでした。

だから、この三十年間ずっと、
「原因のない不登校もある」と信じていました。

不登校のトラウマ(後遺症)との対峙


その転機が訪れたのは、平成が終わり令和へ近づいた数年前の話です。

仕事の過負荷と上司のパワハラが原因で適応障害(睡眠障害)になり、
そのきっかけで、心理カウンセリングを受けることになりました。

そして、心理カウンセリングを進めるうちに、
かつての不登校のトラウマ(後遺症)が昇華できていないことに
気づいたのです。

そこで、そのトラウマを取り除くためにも、
過去を振り返るカウンセリング(セッション)と作業を
繰り返ししました。

しかし、カウンセリング当初は、
いくら振り返ってみても、不登校の原因は見つかりません

しかし、根気強く振り返る作業を繰り返すうちに、
少しずつですが、過去の自分の思いが明らかになり、
それを分析することで、不登校の原因にたどりつけたのです。

もしかしたら、三十年前の話なので、間違ってるかもしれません。
だけど、自分が粘り強く続けて出した答えだったので、
それで納得することができました。

二人三脚で作業を進めてくれた臨床心理士さんの力なくして、
ゴールにはたどりつくことはできなかったと思います。

何の知識も力もない小学生だった自分は、
自分がどうして学校へ行けなくなったのか、
その原因が分かりませんでした。

先に書いた「何もかもイヤになった」という表現のとおり、
なぜかよく分からないけど、行けなくなってしまったといった感じです。

しかし、大人になるにつれて、
色々な知識や知恵を身に着けていきました。

その結果、大人になった自分だからこそ、
今まで身に着けてきた知識や知恵を活用して、
不登校の原因や理由にたどりつくことができた
のだと思っています。

「やっぱり大人はすごいな!」と思った瞬間でした。

原因のない不登校はない!?


原因が分からない。理由も分からない。
それなのに、学校へ行けずに苦しみ、そんな自分をキライになる。

自分が自分を認められない。忌み嫌う。
それはまるで生き地獄。自分に対する拷問です。

もちろん完全に納得できるものでないですが、
学校へ行けなかった原因や理由が分かることで、
腑に落ちるものがあり、何か救われたような気がしました。

その一連のプロセスを経験したからこそ言えるのですが、
本当は「不登校の原因は必ずある」のではないかと思うのです。

ただ、小学生や中学生の若さでは人生経験はほとんどなく、
その原因を探す知識や能力がまだ十分に身についてません。

さらに、周辺の大人たちにも、自分の思いや抱えているものを
うまく表現することもできません。

きっと理由はシンプルなものでなく、すごく複雑なことが多いと思います。
だから、周辺の大人で原因を突き止めることはできない。
きっと当事者本人しかできない作業だと思うのです。。

大人になると、色んな知識や能力が身に付きます。
さらに、自分と長く付き合えば付き合うほど、自分のことが分かります。

だから、色々な知識や知恵を身に着けた大人だからこそ、
再び過去ときちんと向き合えば、
本当の不登校の原因にたどりつける可能性が高くなるかもしれません。

だけど、ほとんどの元不登校児は、
大人になってから過去と真剣に対峙することがないため、
不登校の原因が分からないままになるのかもしれません。

それがいつしか、
「原因のない不登校もある」という通説を生み出している
一因にも思えるのです。

とはいえ、ほとんどの人が不登校は辛い思い出だと思います。
大人になり、それと対峙し、過去を掘り起こすのはとても辛い作業です。

私自身、その過去と向き合っている間は、
非常に心が不安定になりました。

そして、時には、
 「なぜ、自分はわざわざこんな苦しいことをしてるか?」
 「この作業には何の意味があるのだろうか?」

と、思い悩むこともありました。

不登校の原因解明の先に見つけた「生きやすさ」


思い悩んだこともたくさんありましたが、
その苦しみの先に、過去の不登校の原因を見つけました。

その結果、30年間ずっと自分でも気づかず抱えてきた、
不登校の後遺症、いわば、生きにくさを解消することができました。

その生きにくさとは、他者視線恐怖症醜形恐怖症です。

軽いものだったと思いますが、1年間のカウンセリングの中で、
はじめて自分が三十年抱えていたそれらの症状に気づかされました。

詳細はまたの機会に別のnote記事で書きたいと思いますが、
過去の不登校の原因にたどりつき、
かつて不登校だった醜い自分、自分が嫌いだった自分を許した時
症状は少しずつ消えていき、「生きやすさ」を手に入れました。

カウンセリングを終えて2年が経ちましたが、
今ではすっかり視線恐怖症と醜形恐怖症の症状は消滅しています。

カウンセラーの先生からは、
必ずしも過去を振り返ることは良いとは限らないという
アドバイスをもらいました。

フラッシュバックでコンディションを崩したり、
最悪のケースでは、自分に傷づけることもあるからのようです。

ただ、振り返りを考えた当時を思い返してみると、
少しやけくそになっていたと思います。

「もう自分は最悪どうなってもいいんだ!」と思いながら、
どんどん過去を掘り下げてしまった。

ただ、それが偶然よい結果を生んだだけだったかもしれません。

ですので、一つの参考事例として、お読みいただければと思います。
※通院されている方やカウンセリングを受けている方は、
 先生や心理士さんに相談される方がよいと思います