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約30年ぶりによみがえった、不登校のお手紙問題

今から2年半ほど前のお話。

上司のパワハラと仕事の過負荷をきっかけに適応障害になり、心理カウンセリングを受けることになった。

その過程で、約30年前の小学校5年生だった時の不登校のトラウマが未だ解決できていないことに気づかされた。

そこで、約1年間のカウンセリングを定期的に受け、過去の昇華できていない思いを一つ一つ紐解く作業を続けていた。

そんな日々が続いていた夏の日、購読していた朝日新聞で衝撃的な記事を見つけた。

それは、不登校の子どもに届く「お手紙」問題

新聞だけでなく、朝日新聞が提供するニュースサイトにも掲載された。

その記事をみかけた時、目が釘づけになり、動くことができなかった。

記事で書いてある出来事が、まるで30年前の自分の身にふり掛かったことがそのまま書かれていたからだ。

「なぜ、この思いを今まで誰も分かってくれなかったんだろう・・・?」
「どうして、今になって自分の気持ちがこの紙面で代弁されているのだろう・・・?」

本当に不思議な気持ちになると共に、
「(自分の気持ちが)やっと分かってもらえた」という安堵感が押し寄せた。

今から30年前、不登校は登校拒否と呼ばれていた。

そして、今ほど学校へ行けない子は少なく、学校へ行けない子はまるで宇宙人のように奇異な目で見られた。

さらに、今のように学校での支援はおろか、フリースクールもなかった。不登校の子どもたちが交流できるネットもなかった。本当に何もなかった。孤独だった。

だから、クラスメイトから大量の手紙を受け取った気持ちなんて、誰にも分かるものではないと思っていた。

だけど、だけど・・・

それから30年後、いま目の前の紙面で自分の気持ちが語られていた。

学校へいけなかった当時、学校に関わるモノはすべて視界から消し去れたかった。

ランドセル、教科書、プリント、テレビ番組から聞こえる学校のチャイムの音さえも・・・。

そんな状況の中、クラスメイト全員からの手紙は凶器だった。

学校を彷彿させるだけでなく、自分がいる陰の世界と正反対にある陽の世界を見せつけられた。自分が出たくても出れない陽の世界からの催促と脅迫しか見えなかった。

さらに、自分が陽の世界から置いていかれ、取り残されることをまざまざと見せつけられた気分だった。

 焦り、悲しみ、惨めさ・・・

手紙は刃物のように心をグサグサにした。

クライメイトの、きっと先生に書かされたであろう手紙の内容に少し見ただけで耐えられなかった。すぐに視界から消した。

もちろん、クラスメイトには悪気はない。むしろ、わざわざ書いてくれたことに感謝しなくてはいけないと、今では思う。だけど、やはり当時は耐えられなかった。

クラスメント全員の手紙を受け取ったのは、学校へ行けなくなってから2か月後ぐらいだったと思う。

その後、再び手紙が届くことはなかった。

もしかすると、苦しむ自分の姿を見て、親が先生に言ってくれたのかもしれない。もしくは、クラスメイトや先生から諦めていたのかもしれない。

しかし・・・

その手紙を受け取ってから半年後、家のチャイムが鳴らされ、再び手紙が花束と一緒に届けられた。

それは、友人の一人が届けてくれたものだった。
先生に言われたわけでなく、彼自身の個人的な判断で、お見舞いとして届けてくれたものだった。

今では手紙に何が書いてあったか忘れたが、それほど嫌な思いはしなかった。

それは先生に強制されたものでなく、自分自身の気持ちで届けてくれたからかもしれない。もしくは、学校へ行けなくなってから、だいぶん時間が経ち、心のエネルギーがだいぶん充電できていたかもしれない。

その手紙と花束を受け取った2か月後。
3学期の始業式の日、私は再び学校へ通いはじめた。

学校へ再び通い始めれるようになった要因は、今でもはっきり分からない。

おそらく、「学校へ行かないことで心の休息が取れ、再び何とか歩き出せるエネルギーが溜まったから」だったと思う。

そのエネルギーを溜められた要因として、その手紙と花束が決め手になったわけではない。ただ、複数ある要因のうちの一つであることは間違いないと思う。

その友人とは、その後、中学、高校と一緒に過ごした。

そして、今から6~7年ぐらい前だろうか?

すっかり三十代の大人になり、
東京出張のついでに、その彼と会い、一緒に飲んだ。
そして、酔っぱらった勢いで、こう言った。

「あの頃、色々あったけど、手紙と花束ありがとう・・・」

まだ当時は、心理カウンセリングを受けていなかったので、「不登校」や「登校拒否」という言葉を自分から言えなかった。

ましてや、自分の学校へ行けなかった過去に、自分から触れるなんてできなかった。

だけど、曖昧な言い方でもいいから、お礼を言いたかったんだと思う。
「じ~ん」と、少し涙が出かけたのを覚えている。

不登校トラウマをだいぶん癒した今ならば、もう少しきちんとしたお礼ができるかもしれない・・・。

三十年経った今もある「お手紙」問題。

お手紙は、凶器にも、エネルギーにもなる。
これだけ時間が経っても解決されていない。
本当に難しい問題だと思う。

どうか、どうか、これ以上、学校へ行けない子を傷つけるものにはならないで欲しい・・・。