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【ネタバレ感想・考察】『The Last of Us Part II』をクリアするまで「マジか」と4回声が出た。

名作中の名作である『The Last of Us』(以下ラスアス)から7年の時を経て発売となったシリーズ第2弾、『The Last of Us Part II』(以下ラスアス2)を先日クリアしました。

ラスアスがPlayStation 3用のソフトだったという時の流れに眼を剥きつつ、今作は溜め息の出るような荘厳で美しいグラフィックの中、「それからどうした」が地続きで進みます。

未プレイだけどシナリオだけ知りたい、という方もいるかと思いますので、最初に世界観を軽く書きます。人間が異形(胞子を噴出するような人型のなにか)へと変化してしまう感染病のようなものがあり、残った人類がどう生きていくのかが描かれています。噛まれたら感染する、という設定は所謂ゾンビの系譜に近く、織り成す人間模様は名ドラマ『ウォーキング・デッド』と似通っている気もします。もちろんゲームなので、『風の谷のナウシカ』の腐海にいてもおかしくないような、より強く獰猛に変化した異形中の異形も出てきます。

感染拡大の際、人類が忌み嫌い遠ざけ攻撃するのは「感染した元人間たち」なのですが、感染が広まりに広まり、やがて常態となった時、資源や通信手段が限られ生存の難度が再び高くなった人類は、それぞれコミュニティを形成していきます。そして、コミュニティとコミュニティが遭遇すれば、即ち手を握り共生へ向かうか、手を払い敵対するかという選択に迫られます。

そういった世界で生きる人間を、これでもかというくらい丁寧にゲームへ落とし込んだものがラスアスシリーズです。以下は、ラスアス2のネタバレをガンガンしていきます。ご留意の上お読みください。

非日常が日常となった果ての、人間の愛憎

ゾンビ作品の面白さは、グロテスクな外見と、噛まれたら仲間入り、というヴァンパイアの文脈を受け継いだ緊張感があるかと思いますが、基本的にそれらの恐怖は、ゾンビが非日常的な存在であるからこそ強く感じるのだと思っています。不測の事態下で、人間に近い別の生き物が、少し前まで知り合い、友人、恋人であった者たちが、言葉も通じず、醜悪な姿で襲いかかってくる。怖さしかありません。

しかし、人間の特性として、「慣れ」というものがあります。恐怖は数時間や数日であれば最大の効果を発揮すると思いますが、数日、数週間、数ヶ月、数年と経ていくと、慣れてしまうのではないでしょうか。

ラスアスは感染拡大から数年が経った世界が舞台で、ラスアス2はさらにその数年後です。端的に言えば、世界が一変する前を知らない世代がいるような世界です。異形を恐れていても、それは猛獣に対するものと似ていて、異形が群れをなしているような、危険なところには近づかない、という認識に留まる程度には慣れているようです。

驚異と脅威を小さく感じ、生きる大変さだけが残った世界で、人間はやはり人間相手と確執を作り始めます。コミュニティも、人類が歴史を紡いだ後のコミュニティなので、組織は軍隊と宗教、生き方は文明対自然、のような時間の縦軸を気にしない様相を見せます。

前作ラスアスでは、ジョエルという中年男性が主人公で、エリーという見知らぬ少女を諸般の事情あって守り抜く話でした。映画『レオン』から勝手に拝借し「レオンメソッド」と呼んでいますが、中年男性が血の繋がっていない少女を大切に思っていく話は、どうしてかみんな大好物な展開で、多分に漏れずラスアスは最高のゲーム体験でした。

ラスアス2では、成長したエリーが主人公です。ジョエルとともに、あるコミュニティで暮らし、それなりに幸せそうな人生を歩んでいるのですが、ある日ジョエルが捕らえられ、眼前で惨殺されてしまいます。

さらっと書きましたが、プレイ中「マジか」と言った瞬間でした。前作とはいえ「主人公殺し」です。しかも、まだまだ役割を終えていないような状況で。出される料理が、ここまで重いとは考えもしませんでした。漫画『BLACK LAGOON』から引用するなら「徹夜明けに無理やりフライド・チキンのバーレルを食わされたような気分」でした。

したがって、ラスアス2は徹頭徹尾復讐譚となります。ジョエルとエリーの「衝突もするけどほんわか幸福なその後」を期待していたがため、「その後」がこんなに早く終わってしまったと思いました。とりあえずジョエルを殺したコミュニティ、とりわけ殺害者である女性アビーが許せないのでエリーとともに追跡の旅を始めます。

エリーは文字通り鬼のような執念を燃やし、異形との遭遇もなんのその、ジョエル殺害に加担したメンバーをひとりまたひとりと殺していくのですが、その中のひとりが、殺害後に妊婦だと判明します。

「マジか」の二度目でした。妊婦を殺す、しかもそれを主人公が行うというのは、今までの竹谷のゲームプレイ歴にないことでした。映画でも、漫画でもちょっと頭に浮かんできません。

ラスアスは「少女エリーを守るため」というモチベーションでジョエルを操作し、敵を殺していくわけですが、ラスアス2は「復讐のため」と、あくまで利己的な理由です。もちろん、復讐劇は復讐劇ならではの面白さがあるのですが、巧みに練られただろう演出により、段々エリーの憤怒とプレイヤー側の感情とのリンクが切れそうになります。ジョエルを目の前で殺されたことは、たしかにエリーにしかわからない巨大な情が蠢いているのだと思います。そう思いますが、それでも、妊婦を殺すほどなのかと。

そして、ここで操作キャラクターがエリーから、ジョエルを殺したアビーに変わり、アビーの過去や現在が明かされていきます。アビーの父は、ジョエルが「エリーを守るため」に殺されていました。つまり、前作でプレイヤーが殺した人間の娘だったわけです。

アビー自体も復讐で動いていましたが、ジョエルを殺害したグループも、通常はひとつのコミュニティに所属している人間で、当然にそれぞれ生活のある人間でした。

復讐を果たしたアビーと、その復讐を果たそうとしているエリー。

エリーが復讐を果たしていく時間軸に、アビーがどう動いていたかが描かれます。アビーが会話する人間の中には、その後エリーによって殺される人間もいます。元気そうに笑っている彼彼女らを見れば見るほど、なんとも言えない気持ちになります。当然、その未来を変えることはできません。

そして、いよいよふたりが対決します。エリーの復讐劇がなんらかのかたちで終結するのかと思いきや、アビーを操作して、エリーと戦わなければなりません。三度目の「マジか」でした。

ゲームは「ボタンを押す」ことがまさに醍醐味なわけですが、ここまで「押したくない」と思ったのは初めてでした。アビー優勢で決着がつきそうな時、エリーの恋人である女性ディーナが乱入してきます。アビーはディーナを殺そうとしますが、ディーナが妊娠していることをエリーが命からがら告げると、アビーはふたりを殺さずに去るのです。ジョエルを始め、このゲームではたくさんの人間の命が簡単に消えていきますが、新たに生まれつつある命を前にたじろいだのか、アビーは殺さない、という決断をします。「よかった」と、「アビーありがとう」と心から思いました。妊婦が死ぬところをこれ以上見せられたら、コントローラーを持てなくなりそうでした。

エリーは妊婦を殺しましたが、アビーは、ジョエルを殺せても、妊婦は殺せませんでした。

その後エリーはディーナと農場へ住みつき、生まれた赤ん坊と三人で暮らしていきます。「あれ?終わるのかな?」と思いましたが、そうはいきませんでした。ジョエルの殺された瞬間を悪夢に見るエリーは、改めてアビーを殺しに旅に出ます。愛する恋人と赤子を置いて。

エリーからアビーへと移っていた操作は再度エリーに戻るのですが、正直なところ「エリー、もう休んでいいんじゃないか」という気持ちでいっぱいでした。「行かない」という選択肢が出ていれば、そちらを選んだと思います。

許すことの凄まじさ

アビーの痕跡を辿っていくと、エリーは新たなコミュニティ(しいて善悪で見るなら悪よりの集団)に出会い、そこでアビーがその捕虜収容所に捕らえられているとエリーは知ります。エリー自身もたくさん傷を負いながら、ほうほうのていでアビーを探し見つけますが、浜辺で再会を果たしたアビーは見るからに痩せ細り、かつての印象は消えかかっています。

今度は、エリーを操作しアビーと戦います。四度目の「マジか」でした。ゲームが始まってからというもの、ふたりは喪失を重ねに重ねています。もう、争うふたりを見たくありませんでした。

お互いに、なんとか矛を納められないのかと、ずっと考えながらプレイしていました。なにも操作しなければ話が進むかも、と思いコントローラーを置きましたが、アビーに殴打されゲームオーバーとなりました。話を終えるためには、嫌でも、殴り返さなければなりません。

そして、操作しているから当然といえば当然ですが、エリーが勝ちます。海中にアビーの頭を押し込み、窒息死させようとするのですが、ジョエルの姿がふと脳裏に浮かびます。手は緩み、結局殺しきれず、この場から逃げるようアビーに伝えます。

アビーは復讐相手のジョエルを殺しましたが、エリーは復讐相手を殺せませんでした。エリーの復讐は未遂で終わります。それは同時に、次の復讐の端緒が一個なくなった瞬間でもありました。

ジョエルとの過去を思い出しながら、ゲームは終わります。

竹谷がゲームをやる動機として「どんな物語を追体験できるのか」がかなり大きなウェイトを占めているのですが、ここまでプレイ後の感情に決着がつかなかったゲームは初めてです。

「やってよかった」と心から頷けるゲームではありますが、ひとにオススメできるかと問われれば、ほかのゲームでもいいのではないか、と思ってしまいます。分類できない感情に戸惑いながら、おいそれとハッピー・バッドに分けられないストーリーでした。

ひとつ思うこととして、最後にエリーが「許せないけど、許したいと思っている」と言うシーンがあるのですが、ここに今作のテーマが集約されているのではないでしょうか。

許せないけど、許したいと思っているから、殺せる時に、殺さないという選択をふたりはしました。アビーはエリー、そしてエリーの恋人ディーナを。エリーはアビーを。

竹谷には、「許せない」と心頭怒りに震えるほどのことを誰かにされた経験がありません。それを幸運だと改めて思いながら、もし仮に、許せないと激怒する事態に陥った時、エリーとアビーのように、瞬きのほんのわずかな間に、取れる行動を取らないという判断をして踏み留まれるのか。

そういったことを考えさせられるゲームでした。

それでも

にしても。

それにしても、です。

ジョエルとエリーの幸せな話も見たかった!

エリーの結婚式を遠く後ろからジョエルが眺めているような!エリーの子をジョエルが孫のように愛しく思い、優しく抱き上げるような!感染の治療方法が新しく見つかり、人類がようやっと文明を取り戻すような!

そうはならなかったので、言っても詮なきことではありますが。それでも、言いたかったのです。

そして、ゲームは自ら進めていくからこそ、このような感情を抱かせてくれる稀有な体験ができるのだと思います。

ゲームって、ほんとうに良いものですね。

エリーとアビーの選択の先の未来が、少しでも彼女らにとって良いものであることを心を込めて願っています。

長文をお読みくださりありがとうございました。

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梅雨の夜に、『エヴァンゲリオン』の旧劇場版を見て、サードインパクトの原因がちょっとよくわからなくなりながら。

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▽東京マンガレビュアーズさんにて漫画レビューも書いております▽

▽ミリアッシュはイラスト・ゲームイラストの制作会社です▽

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