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【第169回芥川賞選評紹介】ハンチバック

もっとも優れた純文学が決まりました。

第169回芥川賞は市川沙央さんのハンチバックでした(おめでとうございます)。

今回からは、文藝春秋9月号に掲載されている第169回芥川賞選評を紹介します。選評を通じて、作品を複数の異なる視点から見ることで感じられる多面性について考えてみたいと思います。

  • 文藝春秋9月号に掲載されている第169回芥川賞選評紹介する。

  • 候補作5作品に対する選評を通じて、優れた純文学についての考察する。

今回はまず受賞作の「ハンチバック」の選評からです。

それでは、どうぞ。


ハンチバック選評

芥川賞受賞作「ハンチバック」の各選考委員の選評で、時に気になったところは以下です。

松浦寿輝

わたしなどがこれまで遭遇したことも想像したこともなかった人生の姿が生々しい文章で活写されており、読者の情動を激しく撹拌せずにおかない衝撃的な内容になっている。

結末部分に異質な物語断片が唐突に置かれていることに疑問を示す向きもあったが、こうしたフィクションを生きることじたいが、主人公の人生の現実そのものにある切実な深さと広がりの次元を与えているとわたしは読んだ。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

そうですね、読み手の情動を激しく撹拌してくる、マウンティングしてくる1冊でした。問題のラストシーン、作者の本意と読み手の受け取り方にはどれだけのギャップがあるのだろう?!

小川洋子

釈華が避妊と中絶を望むのは、自らの肉体に潜む神秘に触れたいなどという生易しい思いからではない。自分より貧乏で不幸で頭の悪い子たちのレベルに追いつき 、彼女らを見下したいのだ。

いくら毒を吐いても無視しきれない堆積物がふらふらと頼りなく浮遊しはじめる。もう一人の紗花が現れ、釈華の像が奥行きを増すラストには、内なる他者が、書く自由を手に入れ、飛翔する瞬間が刻まれている。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

釈華の行動は他人を見下すことが目的であると。社会での、個人のアンバランスさを調整するためではなく?!そうなのかもしれない💦

奥泉光

技術的配慮を超えたところで、力あるテクストとして屹立しているのはたしかで、本作の受賞に全く異論はない。

本作は、作品の完成度や技法への配慮からは離れた、言葉の動きに何より力があったといえるだろう。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

そうですね、力のある作品。構成的、技術的な側面よりも、言葉そのものの力に焦点を当てた選評です。

平野啓一郎

難病当事者としての実人生が色濃く反映された作品だが、健常者優位主義の社会が「政治的に正しい」と信じる多様性に無事に包摂されることを願う、という態度とは根本的に異なり、 障害者の立場から社会の欺瞞を表し解体して、再構成を促すような 挑発に満ちている。

産む側、出生前に殺される側の両方から論じ、「殺す為に孕もうとする障害者」の物語として構想した点、それらを自らの瀕死の”事故”と表裏に描いた点、セックスと金銭を巡る倫理をパロディ的に先鋭化して見せた点など、本書が突きつける問いの気魄は、読者に安易な返答を許さない。 純文学作品としては第一作目であり、当事者性が濃厚な作品だが、選考委員の多くが、今後の自由な展開の期待を語っていた。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

読者に対して挑戦的な問題提起。我々が生きるこの社会でこの作品がどう捉えられるか?どう消費されるか?

吉田修一

とにかく小説が強い。一文が強いし、思いが強い。他の作品が木造だとすればこれだけ鉄筋のようだった。弱者である作者が弱者の物語を書いているはずだが、ここには微塵の弱さもない。というか、その弱さこそが強さなのだと見事に反転させてみせる。

僕たち(私たち)は多様性をどこまで受け入れられるだろうか? 理解できるだろうか? などという 昨今の生ぬるい上から目線の問題提起を「ハンチバック」は小気味よく一蹴してくれる。彼女/彼らは理解や共感など求めていない。ただ不平等さを是正して欲しいだけなのだ。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

多様性というモンスターを、脆弱な我々の社会はどう受け入れるのか?もう時間も猶予もない?!

島田雅彦

健常者は一方的に障害者を憐れみ、自分の常識を押し付け、無意識に差別するが、障害者は それに抵抗しなければ死ぬし、抵抗しても死ぬ。

自発的服従者ばかりのこの国で不服従を貫く「私」の矜持に敬意を払う。

一人の小説家の誕生が仄めかされている。こうなったら、開き直って書いていくしかないという決意の表明と受け止めた。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

島田先生のマチズモにはいつも楽しませてもらっています♪この作品の力強さの根源はこういう決意、覚悟というマチズモなのかもしれない。

山田詠美

文学的に稀有なTPOに恵まれたのはもちろん、 長いこと読み続け、そして書き続けてきた人だけが到達できた傑作だと思う。文章(特に比喩)がソリッドで最高。このチャーミングな悪態をもっと ずっと読んでいたかった。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

チャーミングな悪態が芸術になるのも、この文学的技巧があるから。

川上弘美

わたしにとても身近に感じたのです。 その感じわかるわかる、という意味での「身近」ではなく、むしろその正反対、 この小説を実感できる人間はほとんどいないはず、なのに、ここにある「知らなかったこと」はとても身近だった。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

個人と社会はまだ距離がある。その間を繋ぐのがこの「ハンチバック」。

堀江敏幸

出産ではなく妊娠と堕胎までという自己認識のあり方。重量のある紙の本の暴力性。 常識的な思考をかきまわす加速度のある言葉の運びは、主人公が置かれている状態によってのに生まれたのではなく、小説が小説として生み落としたものだ。

文藝春秋 2023年9月号 芥川賞選評より

作品の暴力性と小説が探求する未開拓の領域に焦点が当たる。


第169回芥川賞の候補作「ハンチバック」に対する選考委員たちの選評から、作品の強さ、テーマ性、技術、倫理、挑発、多様性など多岐にわたる視点が感じられる。各選考委員の視点は異なるが、それぞれが言葉にした感想は、作品を深く理解し、享受するための重要なヒントとなる。

優れた文学には明確な基準がないかもしれない。しかし、多角的な視点から作品を読み解くことで、純文学の真骨頂を感じることができるのではないだろうか。

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