死とはなんぞや

こんなこと書くのもよくないのかな〜と思うのだけれど、
病んでて誰かに構って欲しくて…とか
落ち込んでて誰かの手を必要としているわけでもなく、
いわゆる素面なので書いてしまおうかなと思う。
題名のことが素朴な疑問として浮かんだのだ。
朝に太陽が顔を出して、夜に月が浮かぶように自然に、その疑問が湧いた。
でも夜に更新しているから、
もしかしたら素面ではないのかもしれないけれど…。

まあそんなことは端に追いやろう。
題名の通り、死とはなんぞや と。

きっかけは単純で
クリエイティブな世界で疾走し、
テレビの中に当たり前のように存在していた俳優さんがお亡くなりになられた。
あまりにも唐突で、何かの間違いだと未だに思っている。

わたしの青春の傍に、
彼の作品は必ず伴奏してくれていた。
初めて友達と観に行った映画は恋空だったし、
君に届けは大好きな映画だった。
画面で見る彼は、私たちの当たり前だった。

そんな彼がもう見られない、という事実。

この悲しい知らせに涙が止まらなくて、
便乗する形で私も死について考えた。

本当に、死とはなんなんだろう。
生と死はセットであるはずなのに、
生に寛容でいられても、死には影を感じずにはいられない。
陰と陽の関係があるように、
この気持ちは当たり前なのだろうか。

私は、まともに社会貢献もしていない。
だから暇だけが友達で、
生きてる価値について考えることがよくある。
生きがいもなく途方に暮れる日々。
生すらも分からず彷徨っているから
対義語であるだろう死すらも分からないのだろうか。

そんなことを考えても、
彼の死を受け入れる術も浮かばない。

彼はどんな気持ちで自ら命を絶ったのか。
当たり前だけどわからないし、
気持ちも計り知れないし、
計るべきものでもないのだとも思う。

でもやはり、
テレビの中や雑誌の中から
あんなに光を放った笑顔を見せてくれていたから、
そのギャップに余計ショックを受けた。
え、なんで?
その疑問が払拭できずに今が梅雨の時期でよかったなとさえ思えてしまう。

ネットニュースやテレビをつけても、
彼は真面目だったとどの記事を読んでも書いてある。
憎まれるようなこともなく、謙虚だったとか
ディスる要素さえひとつも感じられない。
それが本当のことなら、
真面目な人が悲しむ世界なんてあっていいのだろうか……。
これが正直者は馬鹿を見るということなのか。
自ら発信しているが
もし本当にそうなら、胸が痛い。
そんな社会でいいのだろうか。

こんなことを書いていたって、
彼は帰ってくることさえなくて悲しみはまだまだ去っていくはずもない。

真相はわからないけど、疲労が溜まりに溜まって
衝動的にその手段を強行したのかな、と思う。
誰かに迷惑をかけたくなくて、
迷惑をかける余裕すらなくて、
暗闇の中手探りで見つけた、今を乗り越える手段が、今の現状に繋がったのかと推測している。

誰にでもある衝動だとしても、
誰にでも共通する痛みや辛さじゃないから
本当にただの憶測に過ぎない。
どんな経緯があったにせよ、
私はこの結果にすごく悲しんでいる。
心が痛い。
その経緯が、たった少しでも、
例えば呼吸のしかたひとつだけも
今と噛み合わなかったら
こんなことにならなかったよな、と思う。
靴の脱ぎ方ひとつでも違えば、
こんなことにならなかったんだよ。

生と死は未だにわからないし、
きっとわからないままの方がいいと思う。
理由も根拠もないけど分かった時は死ぬ時な気がする。

でも自分の周りの大切な人が
暗闇で彷徨ってしまったときに
ひっそりと黒い影を落とした衝動を
今回のような結果に結びつけないために
私にできることは必ずあるよな。

死をもって、
なにかを学ぶなんておかしいのにな……

これからの世界が
もっともっともっともっと
より良いものになっていくように
私にできることを模索しないとな。

心よりご冥福をお祈りします。
ゆっくりお休みになってください。
そして、沢山の素敵な青春をくださりありがとうございました。





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