結局仕事が回ってくる話

私の職場では年に数回研修が行われる。
が、正直大半の人間は面倒くさいと考え積極的に参加しないで済む理由を探す。
ここ数年新型コロナウイルスの影響があり、外部講師を招いての研修の一部が人数制限を設けた。基本的に新人は参加しなければならないそうだが、それ以外の人間については人数の関係上、各課二名参加するようにとのお達しである。
では誰が参加するのか。という押し付け合いになる訳である。
このような時、私は意識が高いわけではないので、できれば参加せずに事を終わらせたいのだが、かと言って周囲にどう思われてもいいと思うほどの勇気もない。

私の課では誰が参加するか打ち合わせが行われた。
そして案の定誰が参加するのかという、醜い押し付け合いが開幕したのである。
そのような状況では、絶対に行きたくない。というのを押し通すクソガキムーブが最強である。実際に我が課にもいたが、周囲が勝手にドン引きしてくれるし、そんなやつを逆に通すのも問題なので、その後の人間関係を顧みないのであれば最もおすすめできる。
私はあくまでも八方美人でいたいため、他にいなければ行くというスタンスの賭けに出た。実際そういう人間は多いのではないか。より意識の高い人間がいれば勝手に行ってくれるし、私は手を汚さずに事を終わらせることができる。なんだかんだで年長者が行くものだろうという流れに持っていくことができれば勝ちはさらに色濃くなる。

結果私は賭けに勝ち、くそめんどくさ研修というゴミイベの不参加権を無事に手にしたと思ったのだが、やはり人生起こりうることは起こりうる。(マーフィーの法則)
行くと言っていた年長者が、別の打ち合わせが入ったとか言い出したために私が結局行くことになった。
人生とはなんとままならないものか。
無理を通して迷惑を顧みない人間だけが得をする時代になってしまっていいのか。私は社会に問いたい。
こんなに意識の低い人間が研修に出席していいのか。
外部講師を招くだけの価値ある研修なのか。
手段と目的が逆転してはいないか。
研修のための研修になっているのではないか。

自分にも問いたい。
1時間~2時間程度なら文句も言わずに行くべきではないのか。
それによって課が円滑に回るならばそれでいいのではないか。
誰しも都合というものがあるし、実際に私は都合がつけられるではないか。
お前が始めた物語だろ。
言い出したことを曲げて駄々をこねる方がくそださいのではないか。と。

落ち着いてきた。
ありがとう内なる自分。
冷静になって私は研修で立派に学びます。


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