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社会的不確実性の精神病理へ向けて

米田 衆介
(本稿の初出は、"Social Blindness" Vol.1 suppl.1 2015 pp.30-35 である。同人誌として発表されたが、発行部数も少なくすでに品切れのため入手困難と思われるので、ここに再掲することにした。前回のコンティンジェンシーに関する議論に関して読者からご好評をいただけたようだったので、その問題について扱った本稿が読者諸氏のお役に立つならありがたい)

1状況と不確実性

 精神医学は、社会的な配置の中から精神症状を理解する試みを十分には展開してこなかった。このために、自閉症スペクトラムの精神病理を組み立てるに当たって、必要な方法論を新しく拡張しなければならない。すなわち、患者が出会う社会的で現実的な他者(このような迂遠な表現をするのは、ここで議論していることはいずれにしても形而上学ではないということを忘れないためだ)と患者自身との間で起きていることを、社会的相互作用の中で理解することが求められている。
 そうなると、そのような社会的相互作用の中で考える以上は、パーソンズやルーマンが指摘した「ダブルコンティンジェンシー」の状況が存在していることを、検討の前提することが求められるだろう。
 ダブルコンティンジェンシーの問題というのは、「どのように自分自身が行為するのか、およびどのように自分自身がその行為を相手の人に接続しようとしているのかに、相手の人がその行為を依存させており、その立場を変えて相手からみても同様であるのなら、相手の人の行為も自分自身の行為もおこりえないということ」(ルーマン 社会システム理論;訳158-9頁)である。
 ルーマンに従うならば、このようなダブルコンティンジェンシーがある故に、相互行為はさまざまな可能性に向けて開かれている。すなわち、「コンティンジェントなものは、必然的でもなければ、不可能でもないものである」という。
 そこで、人はこのような状況で、相手に対して何かを試行し、再びその結果に反応することで、状況を変化させ、自己を変化させ、場合によっては相手を変化させる。
 自閉症スペクトラムの社会性の障害として知られているものは、このような文脈で理解されなければならない。自分自身の働きかけと、それへの相手の応答を観察しながら、状況に合わせて自分の立場を動かしていくこと、それによって相互に「想定された」場面の枠組みを作り出していくこと。これが求められていることであって、その不可能性が社会生活能力の障害として観察されていることの本質である。


自閉スペクトラム症とコンティンジェンシー

 このような種類の社会生活能力の障害は、統合失調症でも双極性障害でも精神遅滞でも起こりうるだろうが、ここでは特に自閉スペクトラム症での特徴を捉える必要がある。そうすると、相手に働きかけること自体は、積極奇異タイプの場合のように必ずしも不可能とは限らない。また、相手の反応を観察する事も表面的ではあるかもしれないが、全く不可能ではないことが理解される。自閉スペクトラム症の場合において最も困難なのは、自分の現在のパースペクティブを変化させていくことであり、それによって状況の枠を相手と共に作りだすことである。
 言い換えれば、不確定な状況で、不確定なままに状況を探る操作が、彼ら/彼女らには非常に困難なのである。これが困難である故に、逆に不確定であることが認識できない。というのは、このような不確定性は、実際にそれを操作することによってのみ認識できるようになるからである。実際に悪路で自動車を運転したことがない人には、条件の悪い道路が自動車の運転に与える影響を上手く認識することができない。自分で穴を掘ったことがない人は、素掘りで穴を掘ったときにどの程度土が崩れやすいのかを感じ取ることができない。
 興味深いことに、この不確定なままに探るということの困難が、自閉スペクトラム症者では身体運動における不器用さとしても表れる。たとえば、この人々の身体運動の堅さ、あるいは非円滑性とでもいうべき特徴は、動的に重心を変化させながら姿勢の安定を探るというような動作の困難としても観察される。円滑な身体運動は、自ら作りだしたゆらぎの中から、ある種のリズムや、そのリズムの破れとして生まれてくるように思われる。
 理想的に言えば、このようなゆらぎの中に外力を取り込んで、自分自身の力として利用できるならば、運動は安定するわけだが、それと同じようなことが他者とのコミュニケーションの中にもあり、それを自然と利用することが自閉スペクトラム症者のコミュニケーションでは困難であるように見える。

2ゆらぎから対象を理解する

 たとえば、自閉スペクトラム症者の訴える雑談の困難も、これと関係しているだろう。雑談ということは、健常者にとっても簡単なことではないようで、雑談のハウツー本がベストセラーになるという程度には難しさがあるようだ。
 雑談の目的は、普通は明示されていない。しかし、だれでもおおよそはその意味を知っている。第一には、緊張を緩和し、それに次いでは、相手の力量や隠された意図を推し量り、最終的には彼我の関係を改めて規定しなおしていくことになる。
 たとえば、「腹の探り合い」というようなときに、言語的に明示的に表出される内容よりは、コノーテーションや、あるいはメタコミュニケーションと呼ばれるような、直接的なメッセージの外側の要素が大きな重要性を持っている。こうした要素を読み解くには、自分自身の立ち位置を意識しながら、それを小さく変化させながら相手の反応を観察する必要がある。この同時に複数のパラメータを意識する、変化量を小さく制御するということが、そもそも大部分の自閉スペクトラム症者にとっては苦手な課題に属する。
 まして、彼我の関係を規定し直すとなると、自分の立ち位置や規則性を変化させることになるが、同一性保持特性はこのことを妨げる。
 そういうわけで、自分自身にゆらぎを作り出せないという単純なことが、大きな社会的障害として帰結することになる。

3立場を作っていくということ

 立場を作ると言うことは、ただ単にゆらぎの中から彼我の関係という構造を析出させると言うことだけではなくて、それによって、自分自身の中に役割を担う自分と、役割外の自分との分離を作り出すことでもある。
 自閉スペクトラム症者の多くは、どこでも同じ自分のままで振る舞おうとする。しかし、役割を遂行する自分と、役割とは別の個人としての自分の間に分離を作り出せないと、役割から逸脱するか、自己を失うかのいずれかになってしまう。
 社会的な役割を遂行することは、自分が本当にそうしたいのかどうかということとは本質的に関係がないので、極端な場合には、行為の責任を問われたとしても「それが私の任務だったからです」としか言えないような場合もありうる。逆に、そのような自己と役割の分離を作り出せないならば、正常に役割を引き受けることはできない。
 この分離ができない労働者に役割を担わせようとすると、上役や同僚は、「お前がどうしたいかなど関係ない、それがお前の役割だからだ」と繰り返し言わなければならないことになる。しかし、結局どれだけ教えても、そういう労働者は役割を担うことができないために排除されることになる。
 このようにして、自閉スペクトラム症者の多くは立場を作ることに失敗する。

多チャンネルな役割と、役割の取得可能性

 このような自己と役割の分離に基づいて、健康な人間は役割を多重化することができる。人は、一度に幾つもの役割を担うことができるのだ。たとえば、巡査長であり、父親であり、剣道の師範であり、町内会の書記であり、仲間にからかわれる程のへたくそな釣り師であり、同級生がやっている近所のスナックでは結構モテるといった調子だ。
 また、健康度の高い社会は、多くの役割をチャンネルとして提供していると考えてもいいだろう。職業や家族関係も役割のチャンネルだが、コミュニティが生きている社会では、たとえば地縁関係の中にも町内会の役員のようなわかりやすい役割だけではなく、宴会の時に何となく重宝されるひととか、力仕事の時に頼りにされるひと、実行力はないがアイディアだけは豊富なひと、お祭りといえば仕切るひと、なにかにつけ寄付してくれるひと、人数を集めるのが得意なひと、もめ事が起きたときに出てくるとなぜか事が収まるというひとなど、輪郭のはっきりしない色々なチャンネルが存在している。
 そうすると、役割を多重化する能力と、環境から提供されている多様な役割チャンネルの可能性を組み合わせて、健康な人間は多重化された社会とのつながりを容易に形成できる。このようにして、ひとは社会的な役割を取得することができる。
 逆に、役割を多重化する能力に欠けていたり、環境が貧しい可能性しか提供できない場合には、役割の取得は困難であるか不可能である。これが、自閉スペクトラム症者の多くの身の上に起きていることである。

4治療手段としての社会的役割

 生活療法という観点から言うと、役割を取得し遂行すること自体が生活の中の治療であり、また、そのような役割遂行それ自身が社会参加でもある。役割を多重化できない患者のためには、環境の側にそのひとに見合った役割チャンネルを用意するしかない。それができる環境が、治療的環境としてのデイケアであり就労支援事業所であるといえるだろう。当然ながら、全てのひとに適した役割チャンネルをそろえた一つの場を作るということは不可能だから、色々な種類の多くの場に、それぞれ色々なチャンネルを用意することが必要だろう。ある一つの場は、それに適した特定の人々にしか役立たないだろうが、また別の場が他の人のために用意されることを期待しておこう。そして、それぞれの場に、なるべく多くの役割チャンネルを用意するためには、少し事業内容を複雑にする必要があるだろうし、場合によっては階層性を持った、必ずしも平等ではない場を設定する方が良い場合もありうるだろう。このような工夫は、まだ十分に開発されていないから、これからの実践の中で確かめていく必要がある。

参考文献
Luhmann, N., 1984, Soziale Systeme: Grundriß einer allgemeinen Theorie, Frankfurt: Suhrkamp (=1993,佐藤勉訳『社会システム理論』恒星社厚生閣.)


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