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『坊っちゃん』論1:ラカンの鏡像と性格形成

坊っちゃんの正直な性格は清というばあやの盲目的献身的な愛がなかったら人生が変わっていたでしょう。

実際に清にかわるばあやが居たといいます。

夏目漱石は日本を代表する文豪の一人です。

今まなお多くの読者を持つ超ロングセラー作家です。

静かに、確実に読まれている魅力の源泉は、豊富な知識だけではなく、全てを容認できる、これまで語られている人物像では想像もできないが、寛容な人格にあると考えられます。

漱石の幼児期は良く知られているように、劣悪な環境と悲惨な状況に置かれていました、その夏目漱石が如何にして才能豊かな人格を築きあげたのか、『坊っちゃん』の作品の中にその成長過程が隠されているのです。

漱石が到達した偉大な作家の精神構造がどのようにして出来たのか、その記録が『坊っちゃん』の中に書かれているのです。

漱石の作品から、新たな漱石像を立証する証言を探してきました。

夏目漱石は「全性格の描写」の可能であることを『創作家の態度』において明らかにしています。

その「全性格の描写」とは『維摩経』の不二法門を念頭においているのです。

「正直な性格」と「乱暴な性格」が二つであって二つでなく一つであるという不二の関係にあるのです。

漱石の学生時代はあまり勉強もせず落第はする。

学部の専攻なども目標を決めず、フランス語を考えたり、子供時代の夢を思い出し、建築科を考える。

これは清の夢でもあります。

それでは何故建築科が清の夢なのかと思うでしょう。

清と玄関付の家に住むのが坊っちゃんの夢だったのです。

だから最終回で「清は玄関(げんかん)付きの家でなくっても至極満足の様子であった」といって締めくくっているのです。

ところが、同級生の米山は今の日本では後世に残る美術的建築は不可能だが、文学なら努力しだいで幾百年、幾千年の後に残る大作も書けるといわれ、文学をする事に決め、『私の個人主義』で英文学を専攻するのです。

それでも卒業すると高等師範学校に就職し、一年後松山の中学校に変わります。

そしてまたしても一年後熊本の高等学校に移ります。

それから暫くして文部省から英国への留学の内諾がありました。

その留学を断ろうとするのですが、取次いた教頭が文部省が学力を認めてのことで、自分で自分の評価をする必要はないと言われ、断る理由が無いので英国に留学しました。

大学で英文学を三年間勉強したのですが、文学について良く解らないまま教師にされて仕舞ったと表現しています。

『處女作追懐談』でも「文科に入ったのも友人のすすめだし、教師になったのも人がそう言って呉(く)れたからだし、洋行したのも、帰って来て大学に勤めたのも、『朝日新聞』に入ったのも、小説を書いたのも、皆そうだ。だから私という者は、一方から言えば、他(ひと)が造って呉れたようなものである。」といいます。

この様に漱石の英国留学、作家迄の人生は、重要な転機に何時も周囲の人の意見に左右され、簡単に変更してしまうのです。


周囲の人の言葉が漱石の行動に結び付いているのです

このような現象はラカンの鏡像といわれています。

漱石は『私の個人主義』で、「今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。」と他人本位であったことを自覚しています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


引用参照は青空文庫です。


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