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『モグル街の殺人事件』と主客未分

『モグル街の殺人事件』は史上初の推理小説と言われ、作者はエドガー・アラン・ポー(1841年)である。

ご存知のように江戸川乱歩はポーの名前を参考にしたペンネームで作風もとても強い影響をうけました。

とくに注目したいところは、プロのギャンブラーであったことで、この作品は作者の実体験に裏付けられたものであることです。

推理小説ではありますが、哲学的、主客未分、深層心理的にその神秘にせまってゆきたいと考えています。

なぜなら小説とは思えない、また推理小説とは考えられない分析、理性の否定の言葉で始まっています。

人の心を理論的に推理や分析するのでは無く、自己を相手の心に投げ込み、なりきって知るほうほうなのです。

いわゆる自己を主客未分の状態に置き、トランプゲームに適用し、あいての手札を見透視したり心をゆさぶって勝つほほうについて解説している。

トランプゲームなどは最終場面に近づくと何手か先の勝敗は決まっているものだ。

それをいち早く見抜き放心することによって定石を狂わせるのであるという。

しかもその方法とは手の込んだものでは無く単純であるとつぎのようにいう。

普通の手がみな尽きてしまうと、分析家は相手の心のなかに自身を投げこみ、すっかり相手の心になりきって、相手を誘ってしくじらせたり、せきたてて誤算させたりする唯一の方法(ときには実にばかばかしいほど簡単な手なのだが)を、一目で発見することがよくある。

ただデュパンにとって単純な方法ではあっても「すっかり相手の心になりき」るとは主客未分の状態に我が身を置かなければなりません。

主客未分の状態とは純粋経験である、その主客未分の状態とは言語の届かない領域である。

だから言葉で説明は出来ないが、ホイスト(トランプゲーム)に勝つということは、ほかのゲームに強いと言うこととは意味がちがうといいます。

あらゆる事業上の交渉はもちろん、重要な駆け引き特に金額が多ければ多いほど効果のあるものであり、正当な利益を保証する妙術である。

そのワザとは時間をかけづ、説得に手間をかけないで、相手が完全に納得して向こうから此方の条件に合わせて提言してくるのだという。

時と場合によってワザは一律ではないが、そのほとんどは、優秀な交渉人とて理解の及ばない深い真理が隠れているのだ。

ワザとは分析ではなく、記憶が何より大切であり、注意深い観察が必要であることは言う間でもない。

意識して注意深い観察が出来るチェスやホイストの名人は幾らでもいるだろう。

またチェスやホイストの定石を学び臨機応変、自由自在に場を動かすことが秘訣だと考えているだろう。

ところが、ところが、名人といわれる分析者の腕の見せ所は単なる定石にとどまらず、それを意識して定石の限界を超えて観察し推理をおこなうのだ。

又戦いの参加者はすべてツワモノ揃いなのである。

ここまでは練習をすれば自然に身に付くが、試合は場外にこそあるのである。

場外とはゲームのルール以外の本来無関係である筈の雑談や表情、言葉、態度である。

これらは本人の意識しない純粋経験であり、純粋経験こそ意思決定の原因であり結果である。

だから、その純粋経験とは、あるがままにピッタリ息を合わせれば主客未分状態になれる。

意識して注意をすればそれは観察であってバイアスであり、自然で自由自在な選択はできない。

意識して合わせようとしては成らない、意識すれば自ずから表情や態度にでる。

これは沢庵禅師の『不動智神妙録』に出てくる「放心」、宮本武蔵の「無念無相」の手法を使うという意味である。

エドガー・アラン・ポーは「相手の心になりき」るという意味は「放心」、「無念無相」だと次のようにいう。

そんなときの彼の態度は冷やかで放心しているようだった。眼にはなんの表情もない。声はいつもは豊かな次中音テナーなのが最高音になり、発音が落ちついていてはっきりしていなかったら、

まったく驚くほど同じ意味の言葉を使っていて、普段の態度や声の音程までも、がらりと変えて心を惑わせ決着をつけるのだという。

それにしてもエドガー・アラン・ポーも自らの態度がどのような表情であったかは知らなかったであろう、おそらくホイスト(トランプゲーム)の対戦相手から聞いたのであろう。

それほど対戦相手にとって理解不可解な表情であったに違いない。

対戦相手はその表情を見た途端に勝が逃げてゆことを知るにつけ不思議に思ったのであろう。

冷やかで放心した態度に合った瞬間に判断を誤ってしまうのだ。

とは言っても、人は信じないだろうだから、わかり良い話しで説明しようと言いって、デュパンが相手の心を見透視した話が語られます。

しかし『モグル街の殺人事件』の内容を話すのは止そう、何故ならとても複雑で長くなるから理論的になるのは止むをえない。

相手の心になりき」るとは主客未分状態になることですが、その具体的な手法とは人の行動を時系列に記憶しておいて、何か問題が起こった時、それより以前にさかのぼって原因を探すことである。

それを次のようにいう。

まあ自分の生涯のある時期に、自分の心がある結論に到達した道順をさかのぼってみることを、面白いと思わない人は、あまりないだろう。この仕事はときどき実に興味のあるもので、初めてそれを試みる人は、出発点と到着点とのあいだにちょっと見ると無限の距離と無連絡とのあることに驚くのだ。

まずデュパンが友人と外出して街を歩いていた、その道順の出来事、風景全て覚えておくという、観察と記憶力が大切だという。

ところがその様なことはても出来ないと思うでしょう、考えれれるのが記憶術をみにつけることです。

そのヒントが『モグル街の殺人事件』に書かれていて、全ての行動、考えには原因があるということです。

原因と結果を結び付けてワンセットで記憶すれば消えることはありません。

思い出してください、純粋経験は心的現象の原因であることです。

相手の心になりき」り、あるがままに観察すればおのずと相手のカードが見えてくるというのです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


青空文庫を参照引用しました。

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