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『不動智神妙録』秘伝の神髄:11

不動智神妙録』秘伝の神髄:10の続きになります。

今回で最終回です、まとめになります、本文は難しいところは無いと思います。

そこで言い足りなかったことや、要点をまとめました。

経験が肝心ですが誰でも経験することは出来ません出来たら避けたいことです。

経験から言えば訓練することも考えている暇はありません。

沢庵禅師も言いっていたように絶体絶命な状況に置かれると注意は自然と極限状態におかれのですが、

絶対暴漢の顔を見てはいけません。

突然話が変わりますが、幼児に言葉を教える方法として共同注視が効果的である。

それは親と子供が共にリンゴを見つめるながらリンゴと言葉で教える方法です。

その方法を利用して暴漢の注意を空間に引き付けることです。

この方法は日本古典芸能である能や舞踊などで訓練される「芸の極地」といわれるものと同じでしょう。

そうすれば暴漢は必ずその空間を見つめます。

そうして暴漢の呼吸を狂わすのです。

この状態に耐えられる人はおそらくいないでしょう。

夏目漱石が言ったように「死ぬるまで我を見よ」と迫られるからです。

当然ですが何も無い空間を不動の姿でジーと見詰めることが出来なければなりません。

それを放心といいます。

暴漢が突然大声で怒鳴ってきても顔をみてはいけないだけでなく、言葉で何もいってはいけません。

言葉を返せば暴漢の思うツボです。

注意が逸らされるからです。

暴漢の注意を逸らさないように空間に釘付けにしなくてはなりません。

これを宮本武蔵は『五輪書』で「無念無相」名付けました。

空中をお互いに見て居れば暴漢の顔は見えず暴漢もあなたの顔を見ていない訳だから「無念無相」です。

無相とは姿かたちを消すことです見えなくすることです。

言葉を使わなければ暴漢にとって喧嘩をする相手が居ないも同然です。

「糠に釘」、「暖簾に腕押し」という言葉がありますが脅かしに何の効果も無ければ面目が丸潰れです。


最終回なりました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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