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『無門関』第十二則 巌喚主人

無門禅師の本則口語訳

瑞巌禅師は「主人公」と毎日毎日自らに向かって「主人公」と呼び掛けては「はい」と答えていた。

さらに「しっかりと覚めているか」と問い、「はい覚めてます」と答えた。

「何時いかなる時も、他者にだまされてはならない。」

「はい」と答えた。

説明

この公案は西田幾多郎や三木清の言うところの歴史的個の場所の立場から考えなければ解明出来ません。

無門の頌には「無量劫来生死の本」に関する公案であると書かれており、まさに歴史的個の場所であります。

無量劫来とは長い年月のことであり、多くの個が生死を繰り返し伝えてきた仏の智慧が今ここにおいて生きているのであるというのである。

また「瑞巌禅師自ら買い自ら売」ると無門の評語にありますが、

これは西田幾多郎が『行為的直観』において「作られたものから作るものへの歴史的世界の進展」という意味である。

瑞巌禅師自ら買うということは何らかの付加価値を加えて売ることになります。

ここで付加価値を加えるとは部品を買って加工して製品にして売ることになります。

個人においては外部から感覚器官に作用として刺激を受け入れます。

ただ鏡のように客観である物をそのまま写すのではのではなく、何らかの加工を施して認識します。

このことを西田幾多郎は、「作られたものから作るものへ」と表現しています。

個人が歴史的存在であると言うことは個人は環境の刺激を受け入れるとともに、作用を行ってゆきます。

このような膨大な環境の刺激に注意を怠らないように、何時も覚醒していなさいと自問自答っしていたのでした。

ところが無門禅師の評語には瑞巌禅師の真似をしては野孤禅になるという。

その意味はもちろん瑞巌禅師は言葉に拘っているからである。

「他者にだまされてはならない。」とは瑞巌禅師の反語なのである。

参考引用
『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社
『日本の名著西田幾多郎』中央公論新社
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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