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『無門関』第四十一則 達磨安心

無門禅師本則口語訳

達磨大師は壁に向かって座禅中であった。

一方二祖慧可大師は雪の中で立ちながら腕を切って、

「私はまだ安心を得ていません。どうか師よ安心を与えて下さい。」と言った。

すると達磨は「その心を出して見せよ、されば安心させてやろう」と言いました。

二祖慧可は「心をさがしましたが見つかりません」と言った。

そこですかさず達磨は「そらもう安心しただろう」と言った

解説

この公案は座禅をしたことのない人には難しいと思われますが、

知識のある人であれば解説本を読めば、おおよその見当はつくであろう。

ところがほとんど禅師と言ってもよいくらい間違っているといえるのである。

朝日を拝むのに西を向いて手を合わせて待っているに等しいからである。

言葉に拘ってはいけないと言いながら言葉に拘って実相を見ていないのである。

問いは言葉で表現されていて、言葉の意味を理解していなければ成らないことは言うまでもないであろう。

達磨大師が安心したのか、二祖慧可が安心したのか、ここのところを確りと確認しているのか、これが公案の問いである。

考えなくっても解ると思うのがバイアスであり、両者が安心したと言うであろう。

そんなことを問うてはいないのである。

まず達磨大師が何処から何をしに来たのか、それが問われているのである。

知っていると思うが一応説明しておこう。

達磨大師はインドから今の中国へ危険を冒して、三年もの歳月をかけてはるばる海を渡ってきたのであった。

ところが梁の武帝との会見が不調に終わったことは有名である。

また少林寺での面壁九年を知らない人は少ないであろう。

それでは何故九年間壁に向かって座禅をしていたのか知っているでしょうか。

達磨大師はこの時すでに悟っていたと考えるのが順当である。

そこへ二祖慧可が教えを乞うたのであるから、喜んでそれに答える筈である。

両者の希望がぴったりと対応したのである。

求めるものと教えるものが幸運にも偶然にも一致したのであった。

此の好機を逃すと、はるばるインドから中国へ来た意味が無いからである。

なのに達磨大師は飛びつかなかったのは何故か。

その答えは無門禅師の評語に載っている。

無門禅師の評語口語訳

歯の抜けた老胡が十万里の海をこえて、意気ようようとやって来た。

しかしそれは嵐を連れて来たようなものだ。

それでも晩年一人の僧を育てたようだが、

使いもんに成らん。

説明

実は無門禅師は否定しているようで達磨大師を褒めているのである。

ところで達磨大師が嵐を連れて来たとは如何なることか。

当時中国には仏教の教義はすでに伝わっており二祖慧可もその最先端を行く知識人の一人であった。

それゆえに生きた仏教をみにつけたいと禅の門をたたいたのであった。

この二人が出会う確率は何億分の一なのに達磨大師が慎重だったのは何故か。

言うまでもなく禅の伝導をさい優先にかんがえたからである。

命を捨てても民衆の安心を願っていたのであった。

命が惜しくて用心したのでは無く、慎重だったのは法を守る為だったのである。

二祖慧可が腕を切落としたのを見て安心したのであった。

二祖慧可が悟ったから安心したのでは無く,

邪心が無いことを知ったから安心したと考えるのが正当ではではないでしょうか。

いわゆる宗派争いは過激に成らないとも限らないのであって、

一説によれば達磨大師が命を狙われたことは有りうることである。

無門禅師の頌口語訳

西来の人が直指人心を説いた。

大事件はこの直指人心によって起こった。

やっぱり事の起こりはあなたが原因ではないか。

解説

禅の伝統を守り伝えるのは大変なことなのですね。

だから達磨大師が安心したのは二祖慧可が悟ったからでは無かったのでした。



参考引用
『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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