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『夢中問答』第十四話:慈悲を見る目

問い

この世で生死に苦しんでいる衆生を見たならば、これを憐れむ慈悲を起こすべきなのに、

それらは愛着による慈悲として嫌うには理由があるのでしょうか。

愛着から生じる慈悲とは誤解に起因していると言われますが何故誤解が生じのでしょうか。

夢窓国師曰く

世間で貧苦に悩んでいると言われる人には、貧苦といっても両親がいる人もいれば裕福な両親が無くなって突然生活を奪われた人も居る。

全てを奪われて絶体絶命の状態にある人の真剣で誠実な生きる力とは正に禅的生き方と言っても良い。

それなのに努力もせずに援助を期待して甘えている人に誤魔化されて助ければ甘えを助長させたことに成る。

しからば限度のある慈悲心を集中して可能性のある貴人に向けて助けると共に甘えている人に自覚を与えることになる。

仏菩薩の慈悲心とはそれほど深く考えて行うのであるが実は何も考えずに自然に選択していることである。

「無明の一念起こる」とは生死の相無き所に生死の相を起こすことである。

禅の真髄とは明日命があるとは考えず今に生きることが妄想から逃れる方法である。

言い換えれば明日があると思うから煩悩が生じるのであってそれを夢まぼろしというのである。

夢まぼろしとは夢まぼろしでもって夢まぼろしを退治することである。それを「夢中問答」と言う。


参照

『夢中問答』夢窓国師 岩波文庫

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