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純粋経験とリベットの実験

リベットの実験はとても有名な実験で既に御存知だとおもいますが人間に自由があるのか否かという問いを投げかけました。

リベットの実験が興味深いことに純粋経験とよく似たところがあり相互に助け合う関係にあることです。

それは見えない純粋経験の存在を裏付ける可能性が出てきたことであり。

又人間に自由意志があることの証明になることである。

リベットの実験は人間の考える常識を覆す事実が出てきたことです。

それは人間が手を上げようとする意志は手を上げた原因では無いということです。

リベットの実験以前は手を上げようとすると①番先に意志が決定され②番目に脳が活動して③番目に手が上がると考えられていました。

ところが実験の結果順番は①と②が入れ替わり下の通りになりました。


①脳の準備電位             ②意思決定の時間                 ③運動開始の時間

  0.35秒前                  0.2秒前                              0秒

  純粋経験 心像                 運動 

  無意識          意識 拒否権       運動 

しかも手を上げようとしてから手が上がるまでに0.2秒かかって、さらに脳の準備電位は0.35秒前に活動していたことです。

そこで脳の準備電位は誰の意志か環境の刺激が原因かと盛んに議論がいまなを戦われているのです。

脳の準備電位と純粋経験を同期させると互にその欠点を補うことができます。

純粋経験は心的現象の原因であることは西田幾多郎の云う所であります。

リベットの実験は手を上げようとする意志が原因としていますが実験はそれ以前に始まっていることです。

その実験は事前にルールを綿密に説明して訓練も実地しています。

そこで当然リベットの実験の被験者はイメージが心像として存在していることになります。

心像とは西田幾多郎の純粋経験にあたり、心的現象の原因であります。

するとリベットの実験の脳の準備電位の起動は心像の出現による電位そのものではないかとい言うことができます。

リベットの実験の開始は説明に始まり最終的に手を上げることで終わります。

実験の設備の前に居るだけで実験のイメージを頭に描いていると考えても間違いではないでしょう。

そのイメージを浮かべるのは一瞬のできごとで意識すらしないでしょう。

だからみんな気づかなだけで人間に意志があるのでは無いでしょうか。

ところがこれだけで終わらないのです、犯罪者は罪を犯して措きながら私の責任ではなく脳の責任だと言いかねないのです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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