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『草枕』論6:非人情は心理療法だった

心理療法は会話で行います。

画工と宿屋の女将御那美さんとの会話です。

画工は単なる会話では無く、那美さんの反応の速さをテストするのが目的です。

言葉の内容では無く、返答のスピードを調べるのが本意なのです。

電光石火の如く反応が出来るか、瞬時に応答出来るかを知る手段なのです。

画工は那美さんに、

「あなたは小説が好きですか」

と問いました。

「私が?」

といってしばらく考えてから。

「そうですねえ」

返事をしました。

間を多く取った上,曖昧な返事です。

それ程難しい問いでは無く、真剣に考えなければ成らない場面でもありません。

いい加減な返事で済む会話なのです。

この状況は、いい加減な返事で済ませられるのです。

それでは、何故いい加減な返事で良いのか。

漱石は親切にもヒントをその直前に書いています。

「いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか」とヒントを提示しています。

画工は「多少試験してやる」といい、返事に迷っている所に追い討ちをかける様に画工が問いただすと、

「だって、あなたと私とは違いますもの」

「『どこが?』と余は女の眼の中(うち)を見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸(ひとみ)は少しも動かない。」

そして「ホホホホ解りませんか」とこたえます。

「ホホホホ」は那美さんの癖であったが画工は何度かいわれた経験からその意味を認識していました。

「女はふふんと笑った。口元(くちもと)に侮(あな)どりの波が微(かす)かに揺(ゆ)れた。」と画工は解釈していたのです。

さらに画工は「腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。」といい那美さんの笑いは苦しみを誤魔化すためだと考えていたのです。

両親を亡くし、女性一人で細々とではあっても、宿の運営で生計を立て、町の一員として生きて行くには、強く生きねば成りませんでした。

しかしそんな露骨な強気な面を表に出しては社会が許さない時代でした。

宿の経営者として、おとなしく、物柔らかに生きて行くのが処世術でした。

それでも那古井のお嬢さんと言われる身分家柄は心の中で消えることは無く、その気持ちが自然と出て来ます。

その言葉は会話の脈絡とは関係無く言わせるのです。

この会話でこの言葉が出て来るのは不自然であっても、本人は気付いていないのです。

問いに対する返答として、まともに答えていないのです。

話の筋や理路整然とした文脈を主張する那美さんが、自分自身に向けられた問いに対する返答としては、意味不明、支離滅裂な内容なのです。

このように返答に窮すると隠れていた強気の面が表に出て来ます。

会話に於ける間とは言葉以上に多くを語っている事もあるのです。

心のなかで強気と弱気が戦っているから、応答に時間が掛かるのですが。

強気の面のみが表にでると、間髪を入れずに返答し。

画工を軽蔑し、馬鹿にした態度が表面に出て来ます。

これ以後も那美さんの強気な対話が続きます。

画工は那美さんの心を次の様に読み取っています。


「それだから軽侮(けいぶ)の裏(うら)に、何となく人に縋(すが)りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎(つつし)み深い分別(ふんべつ)がほのめいている。才に任せ、気を負(お)えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢(いきおい)の下から温和(おとな)しい情(なさ)けが吾知らず湧(わ)いて出る。どうしても表情に一致がない。悟(さと)りと迷(まよい)が一軒の家(うち)に喧嘩(けんか)をしながらも同居している体(てい)だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧(お)しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合(ふしあわせ)な女に違ない。」


このような人を馬鹿にしたり、軽蔑したりする、那美さんの態度に気付か無い人も居れば、少し敏感な人は、侮蔑された事に腹を立てる人もいます。

ところが、画工はその様な態度を、既に見透視ており、正面から対応していません。

宿泊客である、画工に対して取るべきとは思われない態度は、いかにも非常識極まる事ではあっても、画工は忍耐深く、寛容の精神で以って、那美さんの心を容認しています。

これこそ慈悲とも言うべきでありましょう。

画工は「社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画(え)なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。」といい。

これこそフロイトの感情転移に対する適切な対応だったのです。

この那美さんの態度は親にたいする甘えと反抗の画工にたいする感情転移だったのです。

普通なら画工は逆転移を起こして喧嘩になっているところです。

「那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。」と受け入れているのです。

これにより那美さんは素直になり自己の置かれている状況と行為が如何に無駄な強がりだったか憐れな存在だったか覚ったのです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


引用参照は青空文庫です


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