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主客未分とサルトル

以前「主客未分について調査中」という投稿をしたところ思はぬ反響に驚いています。

ビューから見て潜在需要あることがわかったので、またその責任を果たすためにその経過と結論を投稿しました。

初めて見る人のためにどのような感想であったか再度記載しました。

「主客未分について調査中

主客未分について解説しょうとすると、読者がそれをどのように理解しているのか知ることが必要になってきます。

そこで井筒俊彦の『意識と本質』を調べました、するとサルトルの小説『嘔吐』にたどり着きました。

するとそこには「意味の抜け落ち」た世界が現れました。

しかしその内容は嘔吐をせずにはいられない不気味ものだと言うではありませんか。

西田幾多郎は「純粋経験は何らの意味もない」とあり、不気味なものではありません。

それでその関係を調べております。」

報告

結論を述べる前に如何にして一定の結論に達したのかその方法が主客未分状態からの報告にありました。

と言うのはサルトルを対象にして考えたのでは無く、さればと言ってサルトルに成りきって感じたのでも無く、

感情を捨てて、ただそのまま描写した、いわゆる夏目漱石の『草枕』の画工の非人情を実行した。

そこから見えて来たのは、言葉は同じ「意味がない」経験ですがその内容に至っては大変違っていると思いました。

いわゆる絶望した人が「生きる意味が無くなったと嘆く時に発する溜息」ではなでしょうか。

主客未分、純粋経験とは言葉が同じでも意味は違っていたようです。

さらに歴代の覚醒体験の実例が展望出来る秋月龍眠著『鈴木禅学と西田哲学の接点』という現在では絶版になっておる本を幸いにも見ることが出来たので調べてみたが、その様な経験は見当たりませんでした。

所が脳科学者オリヴァー サックス著『火星の人類学者──脳神経科医と7人の奇妙な患者』によく似た体験が観察されていました。

それは幼い時に失明した患者が成人になってから手術によって目が見えるようになって、何が見えるかと言えば色は見えても形は正確には見えないようです。もちろん様々な症例はありますが。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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