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  「あゝ今日も、頭の中だけいそがしい・・『憂鬱を味わう』ということ・・」


迷った。自らに無理や負担にならないよう、やめておこうか。やはり形通りでなくても、やろうかと。

今年の盆の迎え火のことである。

結局、やった。焙烙の上でおがらを焚くのではない。夕方、日々灯しているキャンドルに火を灯しただけだ。

4年前、自死した兄のための迎え火である。側の菓子鉢に入っていたお菓子と、姪からのプレゼントのピンクのうさぎのように見える、小さなマスコットを添えた。ナスやキュウリの乗り物の代わりに。

夕食を終えると、毎日灯しているキャンドルだが、今日はやはり気分が違う。
「どどーん!」と、憂鬱になった。
これはいかんと思い、安定剤に手を伸ばしかけた。でも、やめてみた。
憂鬱や不安、悲しみという「マイナスの感情」は抑えずに、むしろ味わった方が早く薄まると、何かで知ったからだった。

そう決めたら、「そうだ。ここへ書いてしまえ」と思ったのである。同じような体験をされた方と、もしかしたら「想い」をちょっとでも共有できたらな、と。

※この先、フラッシュバックなどの可能性をお持ちの方は、充分ご留意下さい※


今年元旦、能登半島の災害があり、大変なことになったとテレビを見ていた。何日かその報道を目にしていた。被災され、ご家族を失われた方が画面越しに、
「元旦はずるいよォォォゥーーー!!!」
と言って、お宅の前であろう場所で、泣き崩れておられた。

その時、オレも激しく共感したのだ。本当に、非常に激しく。
「クリスマスなんて・・・あんまりじゃないかァーーーッ!!!」
と。
兄は4年前の12月25日に亡くなった。クリスマスの夜だ。

年中行事や何かの記念日、誕生日などが命日であれば
「その日が近づくと、イヤでも大切な人が亡くなったことを思い出す」
のだ。
残された方からすると「何かの呪い」のようにさえも感じられてしまう。

オレの場合、今日はまだ「お盆」だからいい。「とどーん!」で済む。他にも亡き人を想って過ごしている方々がおられるだろうからだ。
ひとりじゃない。

だが、兄の命日のクリスマスとなると、11月から暗いだらだら坂をトボトボ下っていき、12月25日には「すっとーんッ!!!」と、大した音もたたないような深ーい穴に落ちる。毎年、這い上がるのにどえらく苦労する。

当然だ。

一般的には、プレゼント・ケーキ・街のイルミネーション・クリスマスツリー・美味しいディナー。
こういうものたちがキラキラする日。
キラキラしているものだから、イヤでも目に入る。そして、イヤでも思い出す。
忘れられようがないのだ。
キラキラした世界とは全く逆の出来事を。

能登半島の被災者の方も、多分、似たところのあるお気持ちではないだろうか。

命日、誕生日、盆。
兄が思い出されて、毎年、苦しくなる。泣く。眠れなくなる。食欲も落ちる。
今日から16日火曜日の夕方まで、いや、その後もだらだらと続くのだが、
「この憂鬱」を今年は、味わってみることにする。
勇気を出して。

※みなさまはどうかご無理されませんように。特に故人を亡くされて年数が浅いうちは危険です。私もほどほどに致します※


ー送り火なう。また、来年。ー


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