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マイストーリー#2 引っ込み思案から、はじける系音楽家になったわけ

第二話は、自分を変えたつらいできごと編を2つ

第一話:空想少女の始まりと気付きのもとになったことはこちらから。

空想少女は現実に追いつかないときがある

演奏している時の気持ちのまま、演奏以外の時間をすごすことが苦痛になってきた学校生活。

なんでも集団で行動する、その意味がわからない・・・

別にクラスメイトとかが嫌いなわけじゃないけれど、すご〜く違う世界に思えてしまったのです。

イジメも受けて、学校イヤだな、と親にもらしたこともあるけど、そこは、空想少女発揮、未来からの自分が話しかけます。

「たった3年間だよ。すぐ終わるよ。そこだけだよ。大丈夫。」

広〜い宇宙から地球、そして自分のいる場所、その時間と、イメージすることができて、とても小さなことだなと感じることができたのです。

心について考え始めたスタート地点

その頃から、心についてよく考えるようになり、心理学や哲学の本も読み始めた。

ある日、イジメてくる人の気持ちを考えるようになった。
これも空想得意のなせる技かな・・・

つらかったし、憎たらしかったけど、許すことができたから、耐えられた。

今ではそういう人たちともSNSでつながって笑い合えているから、未来の自分の言う通り、本当にあのままじゃなかったのです。

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様々な回り道を経てプロになったけど

演奏の仕事をする私には妹がいました。

妹も大人になり、東京で一緒に音楽の仕事をするように。

弾いて歌って、泣いて笑って、いろんなバンドの人たちと出会い、約4年が経った頃、妹が、病気になってしまい、秋田の実家に帰って療養生活に入ることになりました。

両親にまかせて、私は音楽の仕事を続けていくことに罪悪感を覚えるようにもなりました。

東北地方で演奏の仕事があると、その後は実家に帰り、両親の負担を軽くしよう、また、妹の心を元気にしようと努めますが、私の気持ちがなかなか追いついていかない・・・

そこで空想少女の頃を思い出し、未来からの時間で見ることに。

「起きていることにはなにか意味がある」

その意味は、糧になる、宝になること、それを思い出せた私にふりそそいできた言葉は、

「元気を与える」

そういえば、「お姉ちゃんといると笑っちゃって元気が出る」とか「ゆきえはパーッと明るくしてくれる」とか、よく言われてたな〜。

ちゃんとキャッチしてなかった。それが私だった。
道が開けた、明るく照らされた感じに。

妹の旅立ち

入退院を繰り返すこと約12年、2013年9月の朝、妹は旅立ちました。

常に「ありがとう」と、人の幸せを考えて接している妹からはたくさんのことを学びました。

両親と私の背負っていた重い何かを持っていったかのように、ひとまず残された私達は、とっても軽くなり、笑顔も一段と増え、亡くなった悲しみに沈むことなく、「感謝しかないね」と明るく生きられていることです。

もちろん、たくさん泣いたし、思い出すといつでも泣けるし、妹がもらってきて植えてあるお花が毎年咲いてはジーンとくるし、妹の弾き語りで18番だったカーペンターズの『青春の輝き』が流れたりするとほんとにほんとに一瞬で泣けるし、妹と何気にコーラスしてハモっていた曲を他の人とやっても、あうんで合っていたあのシャクリ加減などにはかなわないし、これ書いてる今もウルウルだし・・・

でも、妹は、生きてた時以上に一緒にいる感覚。

魂は生きているって本当。

「音楽やめてもいいけど、やめちゃだめだよお姉ちゃん」

何度もやめようと思ったり、音楽からちょっと距離をおいた時期でも、
ガツンと、音楽と通じて私のやることを指してくれる妹。

未来の私の言葉は、妹からの言葉になっている。

それを大切に、関わっていこうと心を入れ替えたのでした。

マイストーリー#3、最終話につづく・・・












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